2019年8月17日土曜日

読んだ本、漫画:カニエ・ナハ『用意された食卓』、荒木飛呂彦『ジョジョリオン』第21巻

読んだ本、漫画の感想。

・カニエ・ナハ『用意された食卓』青土社、2016年
中原中也賞受賞の詩集。カニエ・ナハさんの名前を知ったのは暁方ミセイさんの詩集の装丁をしていたことから。それで興味をもってこの本を手にとった。
改行と余白の多い紙面で、言葉選びは清潔なのが印象に残った。
詩の読み方にはシーケンシャルな読み方と、非シーケンシャルな読み方がある。ある、というか、私自身がそういう2通りの読み方をしていると思う。
シーケンシャルな読み方は一篇の詩作品を頭から最後の行まで順番に読んでいく仕方。非シーケンシャルな読み方は、ひとつの行で立ち止まって同じ単語や連を何度も読んだり、前の行に戻ったり、そこから少し先の行にスキップしたり、その詩の本来の構成から比較的自由に読んでいくやり方。
カニエ・ナハさんのこの詩集は、前者のシーケンシャルな方法で読むととても気持ちが良い作品に溢れているなと私は感じた。たぶん氏の詩の言葉自体が先へ先へとぐんぐん進んでいく力を持っているということと、詩が細かいブロックの構造体になっておらず、一篇の詩全体が一個の「かたまり」になっている印象が強いからではないかと思う。だからどこかの部分を切り出してそこだけを味わうという仕方よりも、ひとつの詩の総体をたぶん一定の速度で、カセットテープを読み取るようにずーっと読んでいって、部分の解釈ではなく全体を「そういうもの」として受け取るやり方がしっくり来るのだろう。末尾の方に掲載されている「枷」という比較的長い作品について、とりわけそう感じた。
特に好きな作品は「島」と「剥製」。なぜだか、書かれている言葉が直接に指し示している以上の光景というか感覚のようなものが私のなかに呼び覚まされた。「島」はすごく短い作品なのに、とても広い世界を暗示している気がする。

・荒木飛呂彦『ジョジョリオン』第21巻、集英社、2019年
前巻から続く病院内の岩人間との戦闘が主な展開。今回は新しい謎の院長、明負悟が敵。傷を治すスタンド能力がないのに
第20巻で胎児を守るために自らロカカカの実を食べて自分の美と胎児の命とを「等価交換」した東方密葉が、今巻では長男つるぎの犯罪(暴力事件)の可能性に行き当たり、その後夫がロカカカの枝を手にしていることを知ってしまうところが緊張感があってよかった。
前巻を読んだときは、誰かのために自分を犠牲にする側の人間(ジョニィ、仗世文、密葉)/他人を犠牲にして愛する人を守る人間(花都)/欲望のために他人を犠牲にする岩人間がそれぞれ対立項になっていると思ったが、22巻以後の密葉が息子や夫との関係の中でどのように動くのか予想がつかなくて楽しみ。常敏のために他人の子供を犠牲にした花都のように、密葉もつるぎのために誰かを生贄に捧げるのか? 夫がロカカカの枝を手中にしていることを定助たちに伝えるのか否か? 「間違った場所」に足を踏み入れた夫と子どもについていくのか、引き止めるのか?
最後の最後に、初期のあのキャラが再登場したのも意表をつかれておもしろかった。

2019年8月12日月曜日

8月12日の日記:デスクを買った

前回の日記から半月以上も日があいた。日記を書いていなかった理由は単純に忙しかったことと、私がブログに書ける内容は読んだ本とか観たアニメなどのことなどがそのほとんどなのに、前回の記事から今日までのあいだ本をあまり読んでおらず(『三体』だけを少しずつ読みすすめている)、アニメをただの1話も観なかったから。

古いデスクが壊れてしまったので、新しいデスクを買うことをした。
最初は無印良品で探そうと思ったけど、意に沿うような安くてシンプルなものが見つからず、最終的にニトリのこちらのデスク(リンク先ニトリの通販サイト)に決めた。
今までのデスクより小さいし収納も皆無だけれど、軽くてシンプルなところが気に入った。
ただPCの作業をすることも考えると、キーボードなどを載せるスペースのあるパソコンデスク(これとか)を検討すべきだったかもとも思うがあとの祭り。どうしてもダメだったら買い換えればいい。

そのデスクを設置するために、まずは古いデスクを片付けて、完全に破壊し尽くして、家の外に放り出して、デスクの裏にたまっていたほこりやゴミを掃除して、山のような苦労を重ね、ようやく新しいデスクの組立て、設置までが完了したのが数日前。
たいへんだったけれど、しばらく前からの懸案事項が片付いて、デスクは新しくてぴかぴかだし、今はとてもいいきぶんです。いえい。


以下に600文字ほどの文を書いて、でもそれはとてもむずかしいことなので正義にかなうように表すことが今はできず、とりあえずぜんぶ消すことに私はした。