2017年9月26日火曜日

9月26日の日記:図書館、ねこ

所要があって外出。書類をどうこうしたり図書館で借りたり返したり。
ねこにはごはんを与えすぎないよう、一日分をきっちり計測することにしたのだけど、計測して一日分を小分けにしておいたものを目を離したすきに全部食べられてしまうというできごとがあった。ねこの行動を先読みすることの難しさ。ねこのためにはあらゆる注意が必要。

外出先(南関東)で通行人とすれ違うとき、会話のなかで発された「目ざといね」という一言が聞こえてきて、それを聞いた瞬間に強いショックを受けて、悲しくなった。
私はそれまで「目ざとい」という言葉が音声言語として使用されるのを聞いたことがなかった。
北関東で、私が属している(と思う)階級では、「目ざとい」という単語は日常会話の語彙に存在していない。というか日本語として存在しない。私が属している(はずの)階級には、「目ざとい」という言葉を会話でも文章でも一度も見聞きしないままに人生を終えるひとがたくさんいる(と思う)。具体的にそういうひとが何人も思い浮かぶ。
階級差。
北だから、南だからということではなく、単にそういう階級差が世の中にはあるということ(そして私にはそれは、南にいるときによく感じられる)なのだろうけれど、そういう(言葉遣いに代表されるような)分断が世の中にあって、自分がその分断されたものの一方に属しているということが悲しい。(この悲しさには、羞恥が入り混じっている)