2016年7月28日木曜日

7月の日記

7月はいろいろ。はじめのころにルノワール展を観に行って、暑い日はだいたい毎日エアコンをつけたり、ゼミに出たり、アイカツスターズ!を観たり、借りてきた映画のDVD/Blu-rayを観たり、本を読んだり、投票に行ったり、熱中症で苦しんだり、おいしいものをたべたり、私はした。
6年ほど前からずっとつけてる日記帳(ただのノートブック)があって、最近それを発掘して、最近はそちらに書いているので、ブログに、こうしてWeb上で、日記を書こうという気力が、というか動機がなくなって、というほどでもないんだけどまあなんとなくこっちには書かなくなって、でもたまに書こうかなと思って今日ひさしぶりにブログを開いてみたら前の記事からひとつき以上も経っていたのでびっくりした。その間に相撲の場所がひとつはじまって終わってしまった。優勝した日馬富士関おめでとうございます。
私はいま学校に通っていて、実はずっと前からずっと学校に通っているのだけど、ときどき行けていないこともあって、とくに昨年はひどくて、私はいったいどうなってしまうのかなと自分で心配になることもあるけれど、とりあえず今は元気でよく勉強もしている、このまま元気なのが続くといいですね。
ルノワール展、に行ったのだけど、私は年に何度かはこうして東京や、東京じゃない場所へ、美術展を観に行くのですが、本当はぜんぜん絵のことなんかわからないんです。
絵だけじゃなくて、音楽を聴いても、私は音楽のことがよくわからないと感じるし、映画を観てもなんだかよくわからないし、小説も、詩も、漫画も、すべてはよくわからぬままに私を通り過ぎていきます。
高校生くらいのころは、大学に入ったらこういうことは自然にわかってきて、私もいっぱしのことが言えるようになるのだと思っていたのだけど、どうやらそういうことではなかったらしいとずいぶん経ってから気づきました。
それにしても私の鑑賞の仕方は間違っている/どこかに正しい鑑賞の仕方があるはずというこの私の信念とは何なのでしょう。
私の前で「僕たちの世代はみんな評論家になりたかったんだよ」と言ったひとがいて、なんとなくそのひとの世代のその空気というものは想像できたのだけど、私も(多少は)そういうものかなあと思いました。評論家になってかっこいいものの観方を披露できたらさぞこころよいことでしょう。
目が疲れてきたのでそろそろやめます。