2018年9月22日土曜日

9月22日の日記

体調8割といったところ。

今日もFate/Grand Order。
メインストーリーでようやく念願のランスロットが出てきた。
それまでの話で円卓の騎士が悪辣非道な振る舞いをしていたので、ランスロットも怖くなっていたらどうしよう、イメージが崩れてしまうのではないかと心配していたけれど、いろいろな意味でランスロットらしかった。よかったよかった。
ストーリーが気になってイベントはほとんど集会していない。どうせ高難易度は無理だし。

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージでは単発ガシャで恒常の本田未央さん(パーフェクトサポート)が来た。
これで秒数の異なるパーフェクトサポート2名とスキルブーストとトリコロールシナジーとダメージガードが用意できたので放置編成を組んでみたのだが、実際に使ってみるとうまくいかなかった。
調べてみると、理屈はわからないがフェス限乙倉悠貴では放置編成が組みにくいらしい。

2018年9月21日金曜日

9月21日の日記

やや体調良くなってきた。

午前中はFate/Grand Orderのメインストーリーを進めた。第六特異点は今までの章よりもずいぶん陰鬱で悲惨な話が続く印象。戦闘がかなり難しくなったのも、シナリオにおける緊迫した状況をプレイヤーに体験させるためなのだろう。
大変過ぎるのでフレンドのサーヴァントを借りて進行することにした。今まではフレンドポイントを稼ぐ意味でも、縛りプレイの意味でもゲストサーヴァントを選んでストーリーを進めていた。もう無理。1日で令呪を3画使ってしまった。

呪腕のハサンのキャラがよかった。
明らかに悪人っぽい外見をしたサーヴァントなので、TwitterやPixivで呪腕のハサン×主人公のラブラブ二次創作を見たときには作者の正気を疑ってしまったけれど、本編での活躍を見ると納得。あの顔(仮面)であの性格はずるい。
私の好きなランスロットは、少しだけ登場したけど、まださほど活躍していない。しかしあまりにも悪辣に描かれていると落ち込んでしまうので、ほどほどだったらよいと願う。

夕方にFree!DFとアイカツフレンズを視聴。

大相撲も観た。白鵬はこの数年ずっと力が衰えたと言われ続けているが、それでいてなお最強の横綱であることがすごい。

2018年9月20日木曜日

9月20日の日記

完全に風邪を引いてしまって何も考えられなくて、無心になれるFate/Grand Orderのストーリークエストだけを進めていた。第五特異点をクリアした。第六特異点のキャメロットからいきなり難度があがったのでめげている。

今日は部屋の掃除をするはずだったのだけど、頭が働かなくて夕方になるまで何もしなかった。かろうじて畳んだ状態で床に重ねられていた服だけは箪笥に収納した。

オーバーロードⅢ第11話「もう一つの戦い」を観た。
Web版とはかなり違う展開。ナザリック勢が動くと簡単に終わりすぎてしまうからか、(Web版ではルプスレギナがあっさり片付けていた)王国軍とカルネ村との戦闘が長く描かれていた。

もっと何か書こうと思ったけど、書くはしから文が崩れていき句点までたどり着かないのでおわり。

先週のプレバトの俳句のコーナーも観た。

2018年9月19日水曜日

9月19日の日記

今日は快晴、カラッとした日差しで気持ちのよい暑さ。

今日は出かけて、昨日やろうと思っていた用事を終えた。(お金の振込みなど)

帰りに『アイドルマスター ミリオンライブ!Blooming Clover』の単行本第3巻と、双葉杏のソロCDを購入。漫画は今読み途中、CDはまだ聴いていない。
アイドルマスターのコミカライズとしては、サイコミで連載中の『U149』が漫画として巧みであるのに対して、現時点で『Blooming Clover』は色々な点で完璧さから程遠い印象がある。たとえば画面の見やすさとか、コマ割りの技術とか。
でも絵にどこか不思議な魅力があって、誰かが単行本のページを撮った写真をTwitterに載せていたのを初めて見た時から、ずっといいなと思い続けている。
作中で描かれている音程がめちゃくちゃなのに聴衆を笑顔にする歌を歌える主人公矢吹可奈の姿と似ている(のかもしれない)。

タモリ倶楽部のチューバオーケストラの回を視聴。空耳アワーの2曲目が面白かった。

2018年9月18日火曜日

北海道に行ったことと、9月18日の日記

13日からの4日間、北海道に行ってきてあれこれ美味しいものを食べ、楽しい経験をし、時を過ごし、帰ってきて、今。
牛や、豚や、羊や、魚介の類などをたらふくたべ、至福。罪深き飽食。
犬や猫とも遊び戯れた。

初日はまだ節電の影響で汽車が間引き運転だったけれど、滞在途中からそれも終わり、新千歳空港の売店も含めてほぼ平常通りとなっていた。
立ち寄った旭川のジュンク堂書店で『正法眼蔵』『無門関』(岩波文庫)、『金井美恵子詩集』、井筒俊彦『イスラーム思想史』、保坂和志『カフカ式練習帳』を購入。

帰宅後ペットホテルに預けていた我が家のねこを迎えに行った。
さみしがって体調を崩すのではと心配していたけれど毎日元気だったとのこと。
それから、ペットホテルの方に「すごく甘えん坊のねこちゃんだった」「人懐っこかった」とも言われた。前々からそうなんじゃないかと思っていたけれど、多くのねこを見ているはずのホテルの人に言われるのならば、なるほど確かにそうなんだろう。あれはひどく甘えん坊のねこちゃんだ。


9月18日。
今日はあれこれしようかと、たとえば本を読んだり、買い物に行ったり、と思っていたのだけど、予期せぬ都合の発生により、結局一日家にいた。

仮面ライダージオウ第3話を視聴。
2号ライダーの仮面ライダーゲイツの人が割とかわいいし、明らかに将来的なデレを想定したキャラ設計に思えるので、期待している。

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージの宝くじが発表された。
最高が5等当選で、全部合計でスタージュエル3000個超とプラチナガシャチケットとSレア以上確定チケットが数枚ずつもらえた。1等がほしかったけど、まずまずの結果。
新機能のドレスコーデで少し遊んだ。アイドルのドレスを好きな色の組み合わせに変えられる機能。色覚障害の私には意図した色を選べているのかわからなくて不安だったけど、なかなか面白い。
最近ドレスまわりの更新が多いので、前々から望んでいた「恒常SSレアに限定SSレアの衣装を着せる、またはその逆」「SレアにSSレアの衣装を着せる」などの機能追加の要望も出してみようかと思っている。
センター効果や特技、アピール値の関係で限定か恒常かどちらか一方をユニットに入れているけど、違う衣装でもライブを楽しみたいということはままある。こういうとき、衣装を優先すれば音ゲーのスコアが伸びず、スコアを優先すればアイドルゲームとしての視覚的な楽しみに制限がかかる。もちろんそのたぐいのことはキャラクターゲームの宿命かもしれないけれど、音ゲー的事情とアイドルゲーム的事情がいたずらにバッティングするのはよくない。

昨晩録画した大食い女王決定戦2018の後半を視聴。面白かったけど、拍子抜けした部分もあった。
大食いの番組には「スポーツ」と「バラエティ」という2つの要素があるが、今回はバラエティの方により振れていた印象。
個人的には大食いのTV番組にはタレントのショーではなくアスリートの真剣勝負を求めているので、それに見合った演出をしてほしい。ただ、かなりの低予算だったと見受けられるし、仕方ないとも思える。はっきりと覚えていないが、「大食い女王決定戦」と冠する番組は例年このような雰囲気だった記憶もある。

『正法眼蔵』はとても面白い。
真宗門徒で親鸞聖人を尊敬しているのに、書くものは道元禅師のほうがずっと面白いなと感じてしまう。

とてもたくさん疲れたので寝たい。

ねこは、今日も甘えていた。

2018年9月11日火曜日

9月11日の日記

出かけるはずだったのだけど、なんとなく気持ちが乗らなくてずっと家にいた。
夕方からアタマも痛くなってきたし、風邪を引いてしまったのかも。
風邪薬を飲んで暖かい服装で寝る。

Fate/Grand Orderは昨日予定したとおり、イベントでもらえる再臨素材を入手した(はず)。4個でいいんですよね。

今回はアイドルマスターミリオンライブシアターデイズのイベントをほとんどプレイしなかったので、イベント限定衣装にも手が届かなかった。
スタミナ回復アイテムを使わないとイベント限定衣装に必要なptまで達しないことがわかった。
ほしい衣装が来たイベントではアイテムを使って、スタミナ効率倍でやっていこう。それほどでもないときはほどほどに。

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージは無料10連で限定の高森藍子さんが来た。
高森藍子さんのSSレア自体が初めてだし、貴重なプリンセス(センター効果)なのでうれしい。あとは日野茜さんのSSレアが来ればポジティブパッションが揃う。
今日のガシャ更新はPCS衣装の島村さんだった。PCS好きなので、五十嵐響子さんともどもいつかスカウトしたい。

タモリ倶楽部のフライパンの回を視聴。温度計がついている鍋が便利そうだった。

2018年9月10日月曜日

9月10日の日記

今日はしとしとときどきざんざんと雨が降って涼しく、湿気がむんむん。

今日は午後にFate/Grand Orderのイベントシナリオをクリアした。今週から数日家を離れるので、今のうちにEDまで観ておこうと思って。
あとは明日アイリスフィールの再臨素材を揃えたら心おきなく。

タモリ倶楽部の噴水の回を観た。
空耳アワーの1本目が面白かった。
下記の動画で使われていた曲だったはず。(歌っていたのは別の人だったようだけれど。)

2018年9月9日日曜日

9月9日の日記

昨日は雨が降って今日は晴れた。明日は午後に雨が降ると天気予報はいう。

とくに何ということはない2日間で、この頃の常のように書くことといえば観たTV番組や食べたものなどのことしかない。

昨日はBANANA FISHの最新話を視聴。前回に引き続いての重い話。
ショーターの弟分に早く事情を話しちゃえばいいのに、とやきもきするけど、それではきっと後の話に差し支えるのだろう。ややご都合主義感がある。

今日は仮面ライダージオウの第2話を視聴。おもしろい。

お昼にモスバーガー。もうそろそろ終了する期間限定のナンカレードッグと、とびきりハンバーグサンドの和風ソース?のやつを食べた。
ナンカレードッグはおいしかったので、またいずれ復活して欲しい。

2018年9月7日金曜日

9月5日から7日までの日記:魔法科高校の劣等生、オーバーロードⅢ、Free!DF

一昨日
『劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女』を観た。魔法の実験体にされている少女が研究所から逃げてきて、その子を助けるために主人公たちが戦うという話。
普通こういう番外的な話では、その話のゲストヒロインと主人公とのラブロマンス(あるいはそれに類するもの)が主軸になるんじゃないかという気がする。悪く言えばトロフィーとしてのヒロイン。しかしこの映画ではまったくそんなことはなく、むしろゲストヒロインの存在感は薄かった。かといってシリーズ本編でのヒロインがフィーチャーされているかといえば、さほどでもなく、やはりというか、主人公のすごさの描写が力の入れどころだったのではと思える。需要をわかっている。

昼食に無印良品のレトルトカレーを食べた。ジンジャードライキーマ。生姜のピリピリ感ととうがらしの辛さがかなりはっきりしている。私は体質的に辛いものに弱く、大汗をかきながら食べた。大変美味。


昨日
オーバーロードⅢの最新話を視聴。皇帝がナザリック地下大墳墓に赴いてアインズ様と面談する回。表現に関して特筆すべきことはないが、フールーダに関するWeb版から書籍版への変更はよい効果を上げていると思える。
Web版では皇帝とともにナザリックに赴いてからアインズ様の軍門に降った(? 弟子になった?)フールーダだが、書籍版ではそれ以前にアインズと出会っており、ナザリック訪問の時点で既に内通者となっている(そしてWeb版と異なりナザリックに留まらずに皇帝とともに帝国に帰ってしまう)。
フールーダは印象深いキャラクターだが、Web版の設定ではアインズ様ヨイショ爺さんに成り下がっていて、ストーリー上の役割としてはほとんど死んでしまっている。それが内通者としてそのまま帝国に居座ることで、うまく緊張が生み出されている。
一般にWeb版から書籍版への変化は、ストーリー上のテンションを上昇させる方向に働いているものが多いようだ。
アニメ第3期ではアインズ様による大虐殺シーンが取り上げられるはずなので、その前後も含めて、Web版とどのように異なっているかを観るのが楽しみ。


今日
Free!DF最新話とアイカツフレンズ!を視聴。
アイカツフレンズ!は占い師の双子回。双子の入れ替わりネタのあたりは怖くて観られなかったので、適宜早送りをして観た。私は登場人物AがBと取り違えられている場面を観るのが恐ろしいので。早送りしたためか話に没入できなかった。感想はない。
Free!DFは合宿?回。
御子柴妹が登場。かわいい。御子柴百太郎に対しては妹なのか姉なのかわからないけれど、御子柴兄・弟と同様に、おとなしくなりがちなFree!の画面・展開を賑やかにしてくれるいい人物の予感がする。
日和がとにかく元気そうなので和んだ。郁弥のお気に入りはピスタチオドリンクだよ。
七瀬遙さんが負けたことについては特に驚きはなかった。次週以降の展開では、本人よりも周囲(橘真琴)のショックのほうが大きいくらいなのではと予想しているが、どうだろう。
宗介の話も少し出てきた。
思うにこのアニメは、今クールで終わらない。

銀行の用事と、書店での買い物。
決して涼しくはないが、外を歩いていても死ぬような気持ちにはならない。もう秋になってしまったようだ。
書店では『国境の南、太陽の西』と、又吉直樹さんの『第2図書補佐係』というエッセイ集を買った。

2018年9月4日火曜日

9月4日の日記:台風、セブンイレブンのロコモコ

大きな台風。ここらは被害は出ていないようだけど、とにかく風が強い。

今日はほとんどルーチンのようなことしかしていない、あまりにも平均的な一日だった。
小説を読む時間がいつもより短かったかも。
特筆すべきことといえば、セブンイレブンのロコモコ弁当を買って食べたこと程度。完成度が高いとは言えないロコモコだったけれど、トマトソースとチーズの味が美味しかった。

Fate/Grand Orderではエウリュアレさんを最終再臨して、ステンノさんを三段階目まで再臨した。
アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージでは限定市原さんの育成。

大江健三郎の『取り替え子』『憂い顔の童子』(特に後者)と、ボルヘスのある種の小説には似通っているところがある、とふと思った。大江健三郎は長編で、ボルヘスは短編という看過しがたい相違があるけれど。
ボルヘスの作品のスタイルとして、架空の小説の評論がある。そういった作品では、 小説を読むという体験が二重化される。ボルヘスによって実際に書かれた「架空の小説の評論」自体が小説作品となるのはもちろんのこと、評論の対象となっている「架空の小説」もまた(現実には存在しないわけだけど)読者の脳内に像として結ばれて、その架空の小説を読んだ、という体験を与えることになるという意味で。
大江健三郎の小説では、主人公の古義人や友人の吾郎は作品世界の中で、それぞれにこれから自分が書くべき小説を構想したり、映画の絵コンテを書き残したりしている。そこで語られる架空の作品は、ボルヘスの評論形式の小説におけるほど明瞭なコンセプトとして提出されるわけではないが、やはり読者の中にその架空の作品がぼんやりとした残像のようなものを発生させるようだ。
どちらかといえば、大江健三郎の小説で語られるのはボルヘスのような小説のコンセプトというよりは、小説ができていく過程の体験かもしれない。そうではないかもしれない。かもしれない。

話はずれるけれど、小説の面白さにもいろいろあって、そのなかのひとつとして「コンセプト」の面白さというものがあり、ボルヘスの小説はそれが比較的大きな部分を占める。
村上春樹が「小説は頭の回転が良すぎると書けない」と言っていたけれど、ボルヘスはそれを地で行く作者だろう。ボルヘス自身は一言で要約できる小説を何百ページも書くことは正気の沙汰ではないと言っていた。(いずれもきちんと引用元に当たっていない)

再び話はずれるが、大江健三郎の場合は小説全体の価値に対するコンセプトの比重はボルヘスほど高くない。では何が重要なのか? 表現? 長い物語の全体? ひとつの物語を超えて、作品間での引用による反復が生み出す効果?

2018年9月3日月曜日

9月3日の日記:市原仁奈さん

昨晩風邪薬を飲んだおかげかやや心持ちが良い。午前中は薬が効いていて眠かった。

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージの3周年キャンペーンで、限定アイドルがスカウトできるチケットが販売されたのでさっそく購入。
昨年10月よりの念願だった限定の市原仁奈さんをスカウトした。
かわいい。他にフェス限定の乙倉悠貴さんも来た。ガシャの回数から言ってわりとラッキーな方だった。
ここしばらくは限定市原仁奈さん復刻に備えてスタージュエルを貯めるのが目標だったので、期せずして時期が来る前に目標が達せられてしまった形。
残ったスタージュエルは、市原さん以外の限定に備えていくらか取っておこうと思う。
既存の限定アイドルのなかでは、他に前川みくさん、橘ありすさん、森久保乃々さん、諸星きらりさん、佐藤心さん、姫川友紀さんあたりが欲しい。ふへへ。

『憂い顔の童子』は吾郎の「御霊」を見た古義人が怒り狂って崖を滑り落ちるシーンの少し後まで読み進んだ。崖を落ちたり、壁を突き破ったり、よくよくアクションシーンが多い。

最近、英単語を覚えるために単語帳を自作している。
受験生のころにも使ったことがなかったが、やはり覚えるにはこれがいいんじゃないかという気がする。英単語学習アプリも購入して使っているけど、ただタップするだけよりも、めくるときの紙の存在感とか、自分の手で作ることとかが記憶の定着に役立つ(んじゃないかと思う)。
昔はノートに単語を何度も何度も書くということをしていたけど、あれはさほど効果がなかった(面倒くさくてついついやらなくなるし)。

2018年9月2日日曜日

9月2日の日記:バッグ、ケンタッキー、カレー、仮面ライダージオウ、憂い顔の童子

やや体調悪い。風邪っぽい感じ。昼寝で回復。

注文したバッグが届いたとの連絡があったのでお店に受け取りに行った。
実物を見てみると思っていたのと相当に印象が違って、ありていに言えばちょっとがっかりした。身につけるもののネット通販は難しい。

お昼はケンタッキーフライドチキン。オリジナルチキンとレッドホットチキン。
辛いチキンが好きなので、限定の味で販売しているときには必ず一度は食べに行く。同時に辛いものや温かいものが苦手な体質(過敏に反応してしまう)なので、顔から汗や鼻水や涙を流しながら食べることになる。難儀。

夕食はインドカレー。
インドカレーにはアクを取るという工程があまりないのでは?という気付きがあった。少なくとも、インド風のカレーとして今まで作ったカレーのレシピにはアク取りはなかったと記憶している。スパイスとともに何もかも煮込んでしまうのがインド式かもしれない。

今朝から始まった『仮面ライダージオウ』という番組の第1話を観た(さいしょの数分は見逃した)。なかなか面白そうだった。
Twitterで「詰め込みすぎ」という感想も見たけれど、むしろコンセプトを過不足なく盛り込んでいてよくできていると思った。(こういう長い番組の第1話を観て「これがストーリーの核だ」と思ったものが、そのままそれに続く話数でも引き継がれていくとは限らないのですが。)

『憂い顔の童子』に「読み直す」(リリーディング)という言葉が出てきた。
これは憂い顔の童子で初めて出てきた言葉だけど、前作の『取り替え子』以来一貫して重要なキーワードであるはず。あるいはある時期以降の大江健三郎作品全般に重要な。
大江健三郎の小説は、基本的に何かを読むことでできている。その何かとは文学作品やその研究書であったり、あるいは様々な事件や、周囲の人間の言動、自分自身の過去であったりする。
『取り替え子』では主人公の古義人は、友人の吾郎が残した録音との対話をすることで吾郎の意図を読み解くし、その過程から吾郎の死の意味を読み解こうとするし、また吾郎の残した映画の絵コンテを文字通りに読む。最終章では妻の千樫がモーリス・センダックの絵本を読むことを通じて、自分自身の生と兄の吾郎のことを読み直す。
大江健三郎にとっては何かを比喩的にであれ文字通りの意味にであれ、「読むこと」「読み直すこと」が重要で、そしてそれらは小説を書くということに関しても大事に意味を持っている。大江健三郎は、小説を読むことと書くこと、あるいは小説の読者と作者とは、小説というものを間に挟んで向かい合っているのではなくて、むしろ同じ側に並び立って小説というものに向き合っている、という意味のことを言っている(はず)。読むことと書くことは不即不離の関係にある。
大江健三郎にとっては、あるいは大江健三郎の小説においては、小説を書くということは常に読むという行為を伴い、真に読むということは必ず書くという行為を引き起こすものである、のだろう。

夜中になってねこがめちゃくちゃに甘えてきた。膝に乗ってキスをしてきて、そこまではよかったけれど、だんだん興奮してきて噛むようになった。目に入れても痛くないけれど噛まれると痛い。
ねこを通して愛ということを学んでいる気がする。

2018年9月1日土曜日

9月1日の日記:BANANA FISH、大江健三郎、猫の恩返し

9月最初の日。天気がいいのか悪いのかはっきりしない日だった。

部屋の掃除をしてからBANANA FISHの最新話を視聴。ショーターの悲しい回。
BANANA FISHはとてもいいアニメだけど、いいアニメであるだけに悲しい話が堪える。

Fate/Grand Orderの再臨素材(ゴーストランタン)がほしくて周回をしたが、まったく入手できなくて心が折れてしまった。
Twitterのフォロイーさんからアドバイスをもらって、素材が入手しやすいイベントが開催されるのを待つことにした。

午後はぼんやりしたりTwitterを見たり小説を読んだり。
大江健三郎の三部作が読みたくなって、少し前から『取り替え子』から読んでいる。今は二作目の『憂い顔の童子』の序盤。
『取り替え子』は全編通して面白かったが、終章の妻の視点になってからが加速していく感じで異様によかった。
思えば大江健三郎の文章とのさいしょの出会いは、大塚英志の本で引用されていた『取り替え子』中の吾郎が主人公に「壊れ物でない人間」について語る章だった。そういう理由からも『取り替え子』には思い入れが深い。
『憂い顔の童子』の同時はまだ読み始めなのでよくわかっていないけれど面白くなりそうな雰囲気がある。ストーリー的には『取り替え子』終章のすぐあとの時期から始まっているようだ。

それから、先日日本テレビで放送されていた『猫の恩返し』の録画を半分ほど観た。猫の城から逃げ出して迷路へ駆け込んだところまで。
『猫の恩返し』という作品は数あるスタジオジブリの映画のなかでも指折りの傑作であると考えている。宮崎駿に似ていすぎないところがよい。
『猫の恩返し』はちんまりとした映画だ。映画がちんまりとしているというのは、あまり褒め言葉ではないようだけど、この作品の場合は映画それ自体が要求している大きさに、実際の映画のサイズがぴったり当てはまっているようで、それが非常に良い効果を生んでいる。不必要に長過ぎたり、深刻すぎたり、広い範囲のことを扱ったりしていないのが、映画の完成度を高めている。
この映画はキャラクターデザインも音楽も台詞もギャグ回しも演技もなにもかもが映画全体にぴったりとはまっていて、ちぐはぐなところがない。こういう出来のいい作品はめったにあるものはないと思う。
映画の内容とは関係ないのだけど、猫王さまのお付きの猫の声が濱田マリさんという人で、この人は私が好きだった『妄想ニホン料理』という番組のナレーターをなさっていた方なので、その猫のキャラクターがしゃべるたびに番組のことを思い出しておかしかった。妄想ニホン料理、また放送再開しないものだろうか。

ふとしたことから鈴木純ちゃんとのことを思い出した。
私はかつて彼女の兄であるという前提を強く打ち出したツイートをたびたび発信していて、インターネットにかかわりのない日常生活においても純ちゃんを大事にしながら振舞っていた。
そういう日々のことと、それが(純ちゃんがすぐそこにいるという感覚が)失われた日のこととを思い出した。


思い出したというだけの話で、そのこと自体をなんらかの感傷の対象にしたり、教訓の源泉にしたりはしていない、する必要はない、しない。