2013年12月8日日曜日

ネコになる。

 奇妙なぷにぷにが手のひらにできてから1週間。生活に不便はないしと放っておいたけどだんだん大きくなってるみたいだった。はじめグミ・キャンディーほどの大きさだったそれは今ではおはじきより二回りは大きいくらいにまで成長してる。悪性の腫瘍かもと心底ビビった俺は医者に相談してみることにした。するとわかったのだが、それは猫の肉球だった。俺はネコに変わりつつある。
 そうとわかってからは早かった。次の日、顔にひげが生えた。翌々日、のどがゴロゴロ言うようになった。さらに次の日、いつものように淹れたてのコーヒーを飲もうとして、ひどい火傷をしてしまった。猫舌になったのだ。
 テレビがやってきた。

 ――ネコに変わりつつある、今のお気持ちはどうですか。
「不安です。」
 ――ネコになるとわかったことを、最初に伝えたお相手は。
「今付き合ってる彼女です。病院から帰ってきてすぐに伝えました。」
 ――どんな瞬間に、自分がよりいっそうネコに近づいたと感じますか。
「前より、ボールが好きになったときです。」
 ――最近嬉しかったことは。
「楽天イーグルスが優勝しました。」
 ――テレビの前の皆さんにメッセージをどうぞ。
「えっと、こんなつらく悲しい世の中ですけど、ネコになることで日本の皆さんに勇気と感動を与えられたら、って思います。」

 テレビはオオウケだった。俺は一躍、世界で一番有名なネコになった。
 タクヤがネコになったらさ。と俺の彼女は言う。ごめん、もうタクヤじゃないね。タマだもんね。……タマがネコになってもさ、アタシがお世話するから、大丈夫だよ。アタシんち、ちっちゃい頃ネコ買ってたもん。そう彼女は真面目な顔をして言う。うん、俺も写真見たことあるよ。あの黒くて可愛いネコでしょ。違うよ、あれは中学の頃飼ってた子で、すぐ死んじゃったの。そうじゃなくて、アタシが生まれた年にママが連れてきたミケがいてさ、アイツとアタシはきょうだいみたいに育ったんだ。うん。だからそういうわけで、ネコとは、けっこう仲がいいっていうか、家族的な感情?みたいなのも抱けるタチだから。その、けっこううまくやっていけると思うの。幸いタクヤは、タマは、トイレのしつけもちゃんとできてるし、そういう点で心配はいらないっていうか。俺は涙が出てきた。俺はゴシゴシと顔を洗ってから、カリカリをかっこんだ。俺はネコになる。ほんとにほんとにネコになるんだ。

民主党バンザイ

 長門は犬になるし、雪は降ってばかりだし、民主党は選挙で負けそうだし、俺はもうどうしたらいいのかわからん。ほんとになにもわからないから、ウンウン言いながらテレビばかり観ていても、よりいっそうわからなくなってくる。女たちは山で死ぬし、刑務所でも死ぬし、ミサイルは飛ぶし、民主党は元気がなくて選挙で負けそうだ。ほんとに俺はどうしたらいいんだよ。「なあ、長門。ミサイルがここに落ちてきたらどうしような」「わん」「お前の力でどうにかならないのか?」「うー」「こんなこと言ってもわかんないか」「うー」俺がクシャッと丸めた新聞紙をほおり投げてやると、長門は嬉しそうにそれを追っていった。
 まあ、こんなこと言ったって、いつまでもテレビを観てくさくさしてるわけにも行かないし、雪は降ってるけど、たぶんきっと死ぬほどじゃないから、散歩にでも出かけることにするか!と、俺はひとりごとを言って、なるべくうきうきした気分を演出しながら、コートを着たり、長門のリードを用意したりと出かける準備を万端にする。俺はこう見えても、出掛け先で必要なもの、たとえばティッシュとかそういった類のものを持っていないことに気づくのが人一倍いやなんだ。そういったことに関してこの俺はひどく自信がある。
「おい、出かけてくるぜ」妹に声をかけると、テレビを観ながら本を読んでいた妹は俺の顔を見て「どこ行くの?」と言った。こいつ、最近こればかり。
「どこってんじゃないよ。散歩だよ」「マツキヨ行く?」「なんでだよ。マツキヨなんか行かねえよ。長門連れてくんだよ。散歩だって言ってんだろ」「コンビニでもいいんだけどさ」「だからなんでだよ」「ミネラルウォーター買ってきて欲しいんだよね。いろはすじゃやだよ」まるで俺が妹のお使いに行くのがもうガンギマリのアタリマエのことのように、こいつはいろはすじゃやだよなどという。お前の好みがいろはすだろうがボルビックだろうが公明党だろうが知ったことか。とは思うけど、そんなことを言って口論になり、せっかく立ち上げたうきうきした気分を台無しにするのもなんだし、考えてみれば俺は普段から妹にやさしい兄になろう、そうなろうと心がけているわけだから、こういうのもいわばいい機会かもしれない、と思って承知することにした。感謝しろよ。
 外はやっぱり雪ばかりで、道路はグチャグチャで真っ黒だし、歩道はベチョベチョだし、歩きにくいと言ったらないが、長門のやつは案の定そんなこと気にせずはしゃぎまわっている。「長門、うれしいか」「わん」「雪、寒くないか」「わん!」よしよし、長門。お前は風の子だ。
 なんかこうして歩いてると、この街も変わったんだか変わってないんだかわからんな。田んぼも梨畑も季節になったら臭くてたまらん栗の林も一切合切消え失せたけど、そのかわりそういうものがワケのわからんショッピングセンターとかレオパレスとか臭くてたまらんゴミ捨て場とかなんとか言うものに変わっただけだし、なんていうか本質とかそういうものはわりと変わってないんじゃねえの、と俺はナイセイ的なことを考えてみたりする。たとえばあの影になったとこと日の当たるとことでまるで違う色に見える木なんかも、俺が子供の頃からああして惨めったらしい様子で立っていた。
 そんな感じで歩いていると、高校のとき同じクラスだった女にばったり出会った。「有希じゃない。どうしたの」とそいつは言う。
「どうしたもこうしたもねえよ、散歩だよ」「は?アンタに訊いてないし」「ついでにコンビニ行くんだよ」「だから聞いてないっつーの」「まじ寒いな、今年、おかしいと思わんか」「ほんとよね」女は会話の最中も長門の頭をぽんぽん叩いたり、手にしたスーパーの袋を見せびらかしたりしていた。長門は警戒してわんわん唸るし、女は気にせず長門にベタベタするし、このままでは長門の教育によくないと思って、俺は適当なところで「じゃあな」と言ってその場をあとにした。
 駅前まで来るとなんだかよくわからんが、人だかりができていた。そういえば選挙なんだっけ。俺も有権者のはしくれとして、こういうことまじめに考えなきゃだよな。そういうわけで俺がその人だかりに近づいていくと、ずいぶん連中の中では暖かいムードが形成されてるみたいだった。どれどれ、と様子を伺って、俺は心底びっくりした。民主党だぞ!
 人だかりの中心は民主党の小選挙区候補の男だった。民主党がマイクを手に何かいうと、まわりの連中が口々に「そうだ!」「そのとおり!」と言う。「がんばれ!」「がんばれ!」という暖かい応援の声も聞こえる。男が言うことをつっかえて「えーっと」と言った時まで「そうだ!」「そうだ!」と皆叫んでいる。俺は本当に心のそこから嬉しくなって「がんばれ!」と叫んだ。駅前でこんなに人気のあるところを見ると、民主党もまだまだ行けるってことじゃないか。やるぞ、まだ民主党はやるぞ。ほんとうに俺はうれしかった。日本の未来も、まだまだ暗くないってことだ。俺は選挙の日が楽しみでならん。ほんとに俺はうれしいぜ、長門。
「なあ、長門。俺たちはやるぜ!」「わん!」俺が興奮のあまりスキップをしてその場を駆け去ろうとすると、長門の機嫌が悪くなったので、俺は長門にソフトクリームを買ってやるべくコンビニへと入っていくのだった。

2012.12.13