2019年7月24日水曜日

7月24日の日記

今日はあまり本を読む時間がなかったので『三体』を少しだけ読みすすめる。
ShooterとFarmerの仮説(Shooter仮説—腕のいいガンマンが10cm間隔で的に穴を空けていく。そこに棲み着いている二次元人の科学者が10cm間隔の穴を発見して、「宇宙には10cmごとに穴がある」を不変の法則と推測する。Farmer仮説—牧場主が毎日11時に七面鳥に餌をあげている。七面鳥の科学者が餌の出現する時間が必ず11時であることを発見して、感謝祭の日にその法則を発表するが、その日の11時に牧場主がやってきて七面鳥たちを屠殺する)の章まで。
以後の章では、現代の科学で不変と考えられている諸々の法則は何者か(宇宙人?)が恣意的に定めた一時的なルールに過ぎないということが(多分)語られていくのだろう。今のところはまだそれほど意外な展開になりそうにないので、いい意味で予想を裏切って欲しい。
人民解放軍の将軍とか変な警察とかの登場人物は面白い。

ようやく空気に夏らしさが増えてきた。このままがんばってほしい。

2019年7月23日火曜日

7月23日の日記:ユグルタ戦争、猫

今日はサルスティウスの『ユグルタ戦争』を集中して読んだ。『ガリア戦記』に勝るとも劣らないおもしろさで、引用される演説や著者による人物・世相批評など楽しい点がいっぱいだった。

プリンセスコネクト!Re:Diveでクランバトルが始まった。今回は15000位より上を目指したいけどどうなるか。

電器屋にiMacを見に行った。
21.5インチのiMacはRetinaディスプレイが発色もよくて美しいけれど、こころなしか現在使っているMacBook Air(Early 2011)よりも反応がもたつく感じがあったのが気になった。プロセッサかHDDのせいかもしれない。
画面のサイズは複数のウインドウを展開して作業するには21.5インチでは物足りなく感じた。27インチのものも触れてみたかったが店には置いていなかった。

普段通らない道を歩いているとよその猫に遭遇した。横綱の鶴竜関のような顔の愛嬌のある猫で、民家の駐車場でゆうゆうとひなたぼっこをしていた。外猫らしいけれど首輪をしていた。
呼びかけると逃げずにこちらに顔を向けたが、ほとんど目を開かなかったので、もしかすると目があまり見えていないのかもしれない。話しかけた時間は短かったのではっきりとはわからないが、なんとなくそう思えた。
あんた、目が見えないのかい?と聞いてはみたけど、うんともにゃあとも返事がなかった。

2019年7月22日月曜日

7月22日の日記:三体、犬婿入り、ローマ人の物語

一日本を読む。

小説。
昨日から劉慈欣の『三体』を読み始めた。日本語版は値が張るし単行本だったので(大きな本は置き場所がない)、ケン・リュウによる英訳(The Three-Body Problem)の電子書籍版を買った。Wikipediaによれば早川書房刊の『三体』はある意味では英語版からの重訳のようなものらしい(中国語からの邦訳を、大森望氏がケン・リュウの英訳を参照しながら手直しをした)ので、それなら英語版を読んだほうがより中間項が少ないかもしれない。
中身はまだ全然序盤で、ヒロイン(?)が山の上の基地にやってきて謎の兵器が作動するのを見届けたところまで読んだ。話の核心的なところにはまったく入っていないし、どんなSF的アイデアがこれから先繰り広げられるのかわからない(私はメインテーマの「三体問題」というものがなんなのか知らないし)けれど、冒頭の文化大革命の学生たちによるインテリ教授の吊し上げからのリンチ殺人の情景や、内モンゴルでの森林破壊から始まる主人公(虐殺されたインテリ教授の娘)の政治的転落の流れの描写には引き込まれるところがあった。
劉慈欣の作品は『三体』以前に、始皇帝と荊軻にまつわるSF短編をつい先日ネット上で読んだきり。その小説は秦の軍勢を回路にした巨大なコンピュータを用いて円周率を計算する(!)というすごいお話なのだけれど、『三体』の始めの方にも人間の群れの動きをコンピュータのCPUに喩える箇所があって、それが著者のよく用いるイメージなのかなと思った。

先週の月曜から読んでいた多和田葉子の短編集『犬婿入り』を読み終えた。「ペルソナ」と表題作の2編。「ペルソナ」は1週間かけて、「犬婿入り」は今日の夕方に読みはじめてあっという間に終わりまで読んでしまった。
「ペルソナ」はドイツで弟と暮らしている日本人留学生の女性が、韓国人男性に対する差別的な事件をきっかけに、人種や民族にかかわる価値観(あるいは感覚?)を自分の弟とも、他の日本人やドイツ人とも共有できないことに気づき、どこにも馴染めぬまま街を放浪する話。自分の家族の差別に対する感受性の鈍さ(あるいは積極的な差別的言動)に呆然とする恐ろしさが描かれていた。読んでいて嫌な気持ちになる短編だった。タイトルにもなっているペルソナ(お面)が最後に出てくる。ラストシーンは映像的だったけど、作品全体の中で見たとき、比較的気に入らない箇所かもしれない。それよりも弟とのあれこれや、主人公が混乱しながらうろうろしているシーンが面白い。
「犬婿入り」は要約しようと思ってもできないなんだか変な話だった。多和田葉子の小説は一般に要約に向かない。「話」があってないようなものなので。突然に家にやってきた犬のような(とは書かれていないけど、たぶんそうなんだろう)男に、すごい力で身体を持ち上げられて肛門を「ペロンペロン」と舐められるシーンとか、非現実的でありながら妙にイメージ喚起力の高い場面の連続に夢中になった。「ペルソナ」が嫌な小説なのに対して、「犬婿入り」はユーモラスで笑える。どちらが好きかは一概に言えない(でも「ペルソナ」の方が好きかも)けれど、読んでて楽しいのは「犬婿入り」でした。

『ローマ人の物語』文庫版の18巻(悪名高き皇帝たち[二])も読了。前巻からのティベリウスの治世と、後半はカリグラの短い生涯について。
塩野七生氏は全体に「一神教」(ユダヤ教、キリスト教)に敵対的で、「多神教」を称揚するところがあるよなあと改めて感じることの多い巻だった。必ずしもはっきりとそう述べるわけではない箇所でも、「多神教」のギリシアやローマ文化が健全なものであり、「一神教」を害の多い迷信と思っているのだろうということがありありと感じられる。実際に、ユダヤ総督のピラトによる許可のもイエスがと処刑されてキリスト教が誕生したことについて、ピラトは間接的にローマに害をなしたと評している章もあった。
多神教=寛容、現世的・現実的、健全etc.のような捉え方(そして一神教がその反対のネガティヴな特徴を有する)は日本の知識人にかなり広く見られるもので、そこでいう多神教というのは古代を指すのはもちろんのこと、日本人の信仰も含まれている。いかにギリシア人ローマ人が(ユダヤ人に比して)すばらしかったかを述べることで、ナルシシズムにも役立つのだろう。

「悪名高き皇帝たち」はちょうど半ばのところだけど、カリグラの死で内容的には区切りがついたので、明日からは先日新訳?が発売したサルスティウスの『ユグルタ戦争 カティリーナの陰謀』を読もうかと思う。時代はカリグラから少しさかのぼることになるが、カエサルの時代のことを忘れないうちに読んでしまいたい。

2019年7月21日日曜日

7月21日の日記:この日記はトイ・ストーリー4のネタバレをなんとなく含みます。

映画館にピクサーの『トイ・ストーリー4』を観に行った。映画館が田舎に似合わず予想外に混雑していたのでびっくりしたが、どうやら公立学校が夏休みに入ったらしい。閑散とした映画館に慣れているので、映画館が盛況だとすこし嬉しい(騒がしいのは苦手だけれど)。
映画の内容は大変満足。あまりにも思い入れの深いシリーズなので、期待しすぎてがっかりしないようにとの心構えを作ってから観に行ったものですが、あにはからんや、たいへん愉快で胸にしみる映画でありました。
とりわけキャラクターが魅力的だった点がよかった。馴染みの顔ぶれも新顔もいきいきとしていて、コミカルなシーンでは笑いたくなるし、悲しいシーンではこちらの胸まで痛くなった。活発になったボー・ピープのアクションが気持ちよかったし、新キャラで悪役のギャビー・ギャビーもとてもよかった。ギャビー・ギャビー。とてもとてもかわいい。
ストーリー展開としては、そのギャビー・ギャビーをめぐって、今までのシリーズ作品とはやや違うのかもしれないと感じることがあった。今までの作品の物語はおおよそのところ、何らかの悪役がウッディたちの前に立ちはだかるが、最終的に彼はこらしめられて(悪事にふさわしい末路を迎えて)、ウッディたち善良なおもちゃと持ち主の子どものハッピーエンドに落ち着く、といった形式だったと思う。今回の4ではかなり恐ろしい悪役として登場するギャビー・ギャビー(かわいい)も、自分自身の幸福を見つけるという結末になっていた。ギャビー・ギャビーは整備不良で最初から故障していたせいで子どもと遊んでもらえなかった過去を持つ人形で、そのために「子どもに遊んでもらう」という目的を最優先にしてクレイジーなまでに追求するというキャラクターなのだけど、彼女のそんな姿は愚直なまでに子どもとおもちゃの関係を第一に考える(そしてそれによっておもちゃ仲間にまで非難されさえする)ウッディと重なる部分が大いにある。この作品の大きなテーマのひとつは「幸せ、あるいは幸せをもたらす価値観はひとつではない」ということだろうけど、そういう考え方のもとではギャビー・ギャビーの存在は単純な悪ではなくて、「それもひとつのおもちゃのあり方」なのだろうと思えた。そういうテーマ性、製作者たちのこの作品へのまなざしはウッディたちの最後の選択ともつながっているし、さまざまな生き方、さまざまな幸福を提示する今回のトイ・ストーリーは、好ましく感じられた。ギャビー・ギャビーがかわいいし。

すばらしい本編が終わった後、スタッフロールを見ていて、そこに書かれたたくさんの人の名前を眺めながら、ひとりひとりに異なった生活があり、人生があり、尊厳があり、そのひとびとのそれぞれの貢献があって、この楽しい映画が作られたのだなということに感じ入った。スタッフロールに記された名前の、そのひとりをすら私は知らないのだけど、おのおのによってひとつの映画が作られるということが本当に偉大なことと思えた。
それは本当にすばらしいことです。
スタッフロールがあるすべての映画はそれだけで美しい。

2019年7月13日土曜日

7月13日の日記

言葉は声から覚えて、そののちに音声を表す字を習得するという。幼児期からの言葉の発達の過程としてはそのとおりなのだけど、私の実感としては言葉は字から覚えて、音はあとからやってくる(時々はやってこないこともある)。
耳から言葉を聞いて覚えたり、その意味を考えたりすることが私にはどうしても苦手で、それが映像を伴っているものであろうと、音声だけであろうと、音声の会話を主体としたフィクションやノンフィクションはどうにも大変なものだなあ、と昨今の動画や音声の配信が流行するインターネットを眺めていて改めて溜息をついたのでした。
私がインターネットをはじめたころは、まだそのインターネットという場所は生の音や映像には窮屈で、ごくわずかな画像とたくさんの文字とがあふれている空間だったのですが、技術とにんげんの欲望の限りない進化によってインターネットというものは大きな映像スクリーンになったのでした。
YouTuberというものに私もまた関心がありますが、楽しいおしゃべりを聴くということに伴うであろう疲労を予想してしまい、あえて手が出せないのです。
おそらく字幕を利用すればそれほどの困難はないのでしょうが、どうせ字を読むのなら最初から字幕の文字情報だけを拾うことができればよいので、映像の字幕をがんばって追いかけていく意味はなくなってしまうのでしょう。

今日は国立西洋美術館の松方コレクション展に行きました。たいへんな人の出、というほどではなくほどほどでした。知っている作家や、知らない作家、見慣れた絵や初めて観る絵など、さまざまにおもしろいものでした。
目玉のひとつとなっている、上半分がうしなわれてしまったモネの『睡蓮』の現物と、デジタル復元された画像とを眺めて、その来歴や保存・復元のためのさまざまな努力に感じ入りました。
松方の渡欧は一節にはドイツの潜水艦の設計図を盗むのが目的で、絵画の収集はそのカモフラージュだったとの説明書きがなされていたのですが、私はそれを読んで、松方本人にとってスパイ活動と絵を買うこととのどちらがメインでどちらがサブだったのかと考えた。おそらくは国のためにスパイをするという建前で好きな絵を買い漁ったというのが本当なんじゃないか。

恩賜公園の広場で行われていたイベント会場でケバブサンドを食べた。ピタパンのかたくてそっけない食感が好きです。

前夜睡眠が遅かったことから行き来の電車で居眠りをする。居眠りは気持ちのよいものだけど寝不足はよくない。深い睡眠不足が続いていてずっと体調が悪く、頭が朦朧としていたときは、その不調自体に甘い快感があったものだけれど、そうした快感は、今ねこと暮らしていて、ねこより長く健康に生きねばならない私とはもはや無縁のものとなりました。

2019年7月11日木曜日

7月11日の日記

もうずっと晴れた空を見ていない。夏というものを私もみなさんも忘れてしまったと思います。

銀行の用事をすませて、お菓子を買って(コアラのマーチとベビースターを買った)、それから本屋さんに寄ったよ。
本屋さんでは何も買わなかったけど、ただ棚を行ったり来たりして、新しい本や、古い本を、眺めて、いつかこれを読みたい、これは読みたくない、読みたいけれど買って家には置きたくないな、とあれこれ思うなどの時を過ごした。本屋さんというものは街からどんどん消えていき、私が本屋さんで時を過ごすこともやはり少なくなっていき、そのような楽しみは徐々に失われてしまったし、これからも失われていくものだろうけど、そういう楽しみは、いいものです。何も買わなかったけど。
いつも通り過ぎるだけだったパン屋がなくなっていたことに気づいたよ。

他は特になにもなくて、こんなに何もないことがあるのかなというくらいに何もなかった。
時間がどこかに吸い取られるように消えてしまった気がする。
相撲中継を録画し忘れていたなということに夕方6時少し前になってわかった。

Nintendo Switchの『Fit Boxing』の体験版をダウンロードした。そういうことをしていけたならと思います。それからポケットモンスターの新作が早く出るとよいですね。