2019年7月13日土曜日

7月13日の日記

言葉は声から覚えて、そののちに音声を表す字を習得するという。幼児期からの言葉の発達の過程としてはそのとおりなのだけど、私の実感としては言葉は字から覚えて、音はあとからやってくる(時々はやってこないこともある)。
耳から言葉を聞いて覚えたり、その意味を考えたりすることが私にはどうしても苦手で、それが映像を伴っているものであろうと、音声だけであろうと、音声の会話を主体としたフィクションやノンフィクションはどうにも大変なものだなあ、と昨今の動画や音声の配信が流行するインターネットを眺めていて改めて溜息をついたのでした。
私がインターネットをはじめたころは、まだそのインターネットという場所は生の音や映像には窮屈で、ごくわずかな画像とたくさんの文字とがあふれている空間だったのですが、技術とにんげんの欲望の限りない進化によってインターネットというものは大きな映像スクリーンになったのでした。
YouTuberというものに私もまた関心がありますが、楽しいおしゃべりを聴くということに伴うであろう疲労を予想してしまい、あえて手が出せないのです。
おそらく字幕を利用すればそれほどの困難はないのでしょうが、どうせ字を読むのなら最初から字幕の文字情報だけを拾うことができればよいので、映像の字幕をがんばって追いかけていく意味はなくなってしまうのでしょう。

今日は国立西洋美術館の松方コレクション展に行きました。たいへんな人の出、というほどではなくほどほどでした。知っている作家や、知らない作家、見慣れた絵や初めて観る絵など、さまざまにおもしろいものでした。
目玉のひとつとなっている、上半分がうしなわれてしまったモネの『睡蓮』の現物と、デジタル復元された画像とを眺めて、その来歴や保存・復元のためのさまざまな努力に感じ入りました。
松方の渡欧は一節にはドイツの潜水艦の設計図を盗むのが目的で、絵画の収集はそのカモフラージュだったとの説明書きがなされていたのですが、私はそれを読んで、松方本人にとってスパイ活動と絵を買うこととのどちらがメインでどちらがサブだったのかと考えた。おそらくは国のためにスパイをするという建前で好きな絵を買い漁ったというのが本当なんじゃないか。

恩賜公園の広場で行われていたイベント会場でケバブサンドを食べた。ピタパンのかたくてそっけない食感が好きです。

前夜睡眠が遅かったことから行き来の電車で居眠りをする。居眠りは気持ちのよいものだけど寝不足はよくない。深い睡眠不足が続いていてずっと体調が悪く、頭が朦朧としていたときは、その不調自体に甘い快感があったものだけれど、そうした快感は、今ねこと暮らしていて、ねこより長く健康に生きねばならない私とはもはや無縁のものとなりました。