2017年5月22日月曜日

近親愛フィクションとしてのアニメ『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』第14話から最終回第16話までを観た。もう長い期間このアニメに付き合っていたような気がするけど、1期の第1話を観たのが先週の日曜日(5月14日)なのでまだ1週間しか経っていない。最後の最後は期待とは違うエンディングで、すごく複雑な気持ちになっている。

以下、ストーリーのネタバレを入れるのでここで分割。
いちばん言いたいことから書くと、私は近親婚は現実に認められてしかるべきだと思っている。それに、できればフィクションにおいても近親婚(と近親愛)を肯定的に描いて欲しいと思っている。
これは同性婚についての私の考え方とパラレルで、同じ根っこから来ている。すなわち婚姻は当事者間の自由意志によって決定されねばならないという、リベラルとしての倫理だ。(正確に言うなら結婚制度はなくなったほうがいいと思っているけれど、結婚制度がなくなって、かつ社会が円滑に進むという未来よりは、同性婚の制度の中への繰り入れの方が現実的〔すでに現実になっている〕と思う。今現在結婚制度があり今後も存続する以上、平等の確保のために同性婚を可能にせよという立場。)

最終回までの流れを観て複雑な気持ちになったのは、このアニメが近親間の性愛、あるいは近親婚を否定すべきものとしては描かなかったが、同時に「不可能なもの」としても描写していたからだ。誠実な語り方だとは思うけれど、私が望んでいたのは、「不可能」とは無関係なところに成立する幸福な「可能性」だった。リアルじゃなくていいからハッピーエンドにしてよという駄々っ子感情。
それに、あの終わり方はある種の「百合」が「禁断の愛」を処理するやり方に似ている。そこにちょっと引っかかるし、モヤモヤを感じる。


(ここで『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』未見の人にも分かりやすくなるように1期からのあらすじを書こうとしたけれど、紹介記事でもなんでもないからやめた。)
具体的に第14話から第16話で描かれたのは、兄・高坂京介とその妹・高坂桐乃の恋愛関係の成立と「結婚」、そして関係の終わりだった。
第14話では高坂京介は高坂桐乃に愛を告白(求婚)して受諾される。
第15話冒頭で、二人は「これから」のことについて話し合う。桐乃は以前から計画していた「万が一兄と恋人になったときのシミュレーション」を語る。その間、一瞬だけカメラは二人のいるホテルの窓の外に移動して、二人の声は聞こえない。(下の引用の「うん」から「どうかな」までの時間)
「でもね、絶対ありえないって思ったけど、もしも万が一、あんたがオッケーしてくれた場合のシミュレーションもしてて」
「このあとも考えてあるってことか?」
「うん………………どうかな?」
「おう、いいぞ!」
「ふふっ、マジで!?」
「ああ、マジだぜ!」
「じゃあ約束!」
二人の未来にかかわるであろうシミュレーションの内容はこの時点では視聴者には明かされないし、約束の内容もわからない。後日二人は自分たちが付き合い始めたことを友人たちに報告する。
第16話では二人の高校と中学からの卒業と、田村麻奈実と桐乃の喧嘩が描かれる。麻奈実は3年前に桐乃の兄への愛を否定しており、現在も二人の関係を強く否定する。
「誰も言わなかったみたいだから、私がはっきり言ってあげる。兄妹で恋人になるなんて、気持ち悪いと思うよ。普通じゃないと思う。異常だと思う。たくさんの人が、気持ち悪いって感じると思う。当たり前だけど、兄妹では結婚なんてできないし、ご両親だって反対するに決まってるよ。桐乃ちゃんの気持ちが本物であればあるほど、大人になっても変わらないものであればあるほど、誰かが不幸になる。(……)だからね、桐乃ちゃん、京ちゃん。もう十分でしょう? 夢から醒めて、現実を見て、普通の兄妹になりなさい」
京介は「お前は正しくて、俺たちは間違っている」としながらも麻奈実の忠告を拒絶し、その後になされる麻奈実からの愛の告白も受け容れずに桐乃を選ぶ。(京介もおそらく麻奈実を愛していたかもしれないことが京介のその後のモノローグからわかる)
その後京介は桐乃を教会に連れていき、列席者のいない「結婚式」を行なう。そしてこの場で終わりが訪れる。口づけを交わした後に、桐乃は「キリもいいことだし、約束通りここで終わっとく?」と切り出し、京介もそれに応じる。ここでようやく15話のシミュレーション・約束の内容が語り直される。
「卒業まで、私たち期間限定の恋人になる。で、思いっきり楽しんで、卒業したら、普通の兄妹に戻る。どうかな?」
二人はこの関係が続きようもないことを自覚しており、「終わり」を設定していた。二人は関係を解消し、エピローグでは「普通の兄妹」に戻った二人の姿が描かれる。


モヤモヤするんですよ。非常に綺麗な終わりです。でもモヤモヤするんですよ。
このモヤモヤと、ある種の「百合」フィクションに感じるモヤモヤとのダブリ、既視感。

「百合」のパターンのひとつとして、主人公たちが一度は恋人同士になるが、物語の最後の段階でその関係を終わりにするというものがある。こういった話型では、主人公たちの関係や感情は「一過性のもの」、あるいはそうではないとしても「不幸なもの」「不可能なもの」「認められないもの」として表現される。クライマックスは「関係の終わり」のシーンに置かれ、そこで読者は「禁断の愛」の「切なさ」に「感動」することになる。
こういうお話はすごくおもしろい。私は何度もこの手の話を鑑賞して感動してきた。こういう話型への志向は、私が「百合」を意識しはじめたころから私自身にあった。
でも同性愛をそうして「禁じられた」のものとして描くことは、差別の再生産になりかねないし、それ自体が差別になりうる(なっている)。「百合」はフィクションで、現実ではない。しかし同時にそれを生産し、消費する人々が、現実について無責任であるとは思わない。同性愛が現実に困難をかかえている(無理解や拒否に出会う)ということのフィクションにおける記述は一概に否定されるべきものではないが、「同性愛」を「禁断」とする価値観を自ら作品内で作り上げ、「感動」を生み出すような創作態度は、やっぱりよくないものだし、そういうものを「感動」しつつ消費することは、悪しきポルノ消費なんじゃないかと思う。「禁断の愛」としての「同性愛」の「困難」を作り上げてそれに「感動」するマッチポンプ的「同性愛」消費。「困難」は自存するものではなく、今それを書き/読む私によって存在させられている。
(注記だけど、こういう話型って最近は少なく?なった?気がするし、もともと多くはないはず。)(でも、「同性愛」を「一過性」「禁断」「異常」なものとして描き、また正常から逸脱しているがゆえに「純愛」であるとするような価値観は、露骨ではなくても、何らかの形で「百合」作品内や、それを鑑賞する人のなかにありそう。少なくとも私の中にはある。)


『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』の終わり方は上で批判したような「百合」話型ほどひどくないし、「誠実」だとすら思う。

京介と桐乃の関係は、破局を迎える前に終えることによって、外的な関係から内心の永遠になる。京介は12話から最終回までの間に、麻奈実を含めて4人の人間(あやせ、黒猫、麻奈実、加奈子)の愛を拒んでいる。たぶん、4人のうちの任意の誰かと付き合えば、京介は「普通」の幸福が得られる。4人を拒絶することは、桐乃との決して「成就」することのない「はかない」恋愛への本気さを表わすものであり、京介はありえたかもしれない(実現可能な)他の未来を手放すことによって、桐乃一人への(不可能な)愛を証明する。(ここまで書いて「クソ!」と思いましたね。)そうした可能なものとの対比、それらの犠牲によってしか、不可能な桐乃への愛は証明されない。(クソ!)
私が誠実というのは、この作品が二人の愛を一時の思い込みとか、消極的な選択とは決して描かなかったこと。それと近親愛・近親婚がかかえる(であろう)困難に対して、フィクションとして真面目にぶつかっていたと思えること。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』は必ずしも「禁止」を安易な感動の種にしたとは言えない(してないとも言えない)。
けれど。やっぱりモヤモヤする。我慢できない。悲しい。本当に。私は素直なハッピーエンドが見たかった。こういう「美しい」終わり方でしか近親愛を語れない(かもしれない)ということが私には悲しいんですよ。高坂京介が選んだのが、元彼女の黒猫や、あやせや、麻奈実や、加奈子だったら、こんな終わりなんか必要なかったんですから。近親愛の場合にのみ、こういう終わりを用意しなければお話が成立しないなんて。
唐突に奇跡が起きて全部がよくなってほしかった。本当に。いいじゃん、そのまま付き合ってれば。黒猫と3Pしてればいいじゃん!とか思う(ひどい)。ハーレムアニメなんだから。だめ? いいじゃん。楽しみを永遠に続けてれば。
二人が「美しい」終わりを迎えるのではなく、脳天気に普通のカップルとして暮らす未来が見たかった。不可能なゆえに美しい純愛なんかよりあっけらかんとした空想が見たかった。それは今のところフィクションにしかできないことだから、フィクションである『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』にはそういうヴィジョンを提示してほしかった。
でも、やっぱりこうなるしかなかったんだろうな、というのもわかる。

それにこういう終わりじゃなかったら、多分こんなにグダグダだらだらと色々言ったりしてない、私は、たぶん。グダグダだしめちゃくちゃだし、支離滅裂だし、あさはかだし、感傷的だ。限界キモ・ヲタクだ。
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』がこういう話だったからこそ、私は考える。悲しむ。愛について。あさはかなりに。フィクションにめちゃくちゃ感情移入して暴れている。キモ・ヲタクとして。
このアニメはこんな終わり方だからこそ、現実に禁止の主体の一人である私を告発し、問いを投げかける。のかも。

第15話「俺の妹がこんなに可愛い」最後のシーンでは、京介と桐乃は、昔の桐乃が未来に向けて吹き込んだ録音を二人で聴く。過去の、小学生だったころの桐乃は、未来の自分に問いかける。
高坂京介と高坂桐乃の恋人としてのありえない未来の可能性、それを実現する方法の模索は、桐乃の問いかけを通して、視聴者である私に投げかけられている。かもしれない。
「未来の私、大好きな人と結婚できましたか? それはダメなんだって言われました。誰にも言っちゃダメなんだって、言われました。チョーむかつく! でも、あの人の言っていることはきっと正しくて、どうしようって、困ってます。すごく、悩んでます。誰かに相談したいけど、お父さんにも、お母さんにも、一番頼りになる人にも、相談できません。きっとすぐに元通りに戻ってくれると思うけど、それでも言えません。失敗したら、全部台無しだからです。あの人の言ったとおりになってしまいそうで、きっと、その通りになるってわかるから、怖いです。チャンスはきっと一度だけ。その時は勇気を出して、そして、考えてください! ずっとずっと、考え続けてください! ヒントを探してください! どうやったら、ダメじゃなくなるのか。どうすれば、私の夢が叶うのか。どうすれば、私のことを好きになってもらえるのか。どうしたら、ずっと一緒にいられるのか。今の私にはわかりません。だから、未来の私に相談します。すごくなった私……ううん……これを聴いてるあなたに、相談します。ねえ、私、どうしたらいいと思う?」