2017年12月30日土曜日

12月30日の日記:シンデレラガールズ劇場第26話、SideM第5話

やや落ち込むことがあってしょんぼりした一日だった。

アイドルマスターシンデレラガールズ劇場第26話とアイドルマスターSideM第5話「先生よ、大志を抱け!」を視聴。
シンデレラガールズ劇場はアニメオリジナルの年少アイドル回。年少アイドル好きなのでうれしい。橘さんの「私は以前1時まで起きていたことがあります」のドヤ顔が面白かった。
SideMはS.E.M回。おじさんたちかわいい。S.E.Mの3人が同じ高校の教師でアイドルになるために同時に仕事を辞めたという設定を知らなかったので、あまりの仲良しっぷりに笑ってしまった。すごい。おじさん動物園。
お料理持っておかゆ作りに来てくれるプロデューサーさんが、なんか優しいおじいちゃんっぽくてよかった。声もおじいちゃんっぽいし……(よい意味)。
かなり初期から気づいていたことだけど、今回改めて思ったこととして、SideMのプロデューサーさんは『アイドルマスター』(2011年)のプロデューサーさんや、『アイドルマスターシンデレラガールズ』(2015年)のプロデューサーさんと比較すると、メタ的にも物語内的にも「一歩ひいた」立場にいるんだな、ということがある。プロデューサーが「主人公」ではない感じがある。
『アイドルマスター』『アイドルマスターシンデレラガールズ』は、〈アイドルとプロデューサー〉のお話だった。765プロのPやシンデレラプロジェクトのPは最初は問題のある(未熟な)人物として描かれていて、同じく様々な問題のあるアイドルたちと影響しあいながら前に進んでいくスタンダードなタイプの成長物語の主人公だった(と思う)。それはプレイヤーが「プロデューサー」となってアイドルと関わっていくアイドルマスターというゲームのアニメ化作品として取りうる1つの最適解だと思う。両アイドルマスターはアイドルたちとプロデューサーの両方が主役となって語られる話だ。
『SideM』では、私が観た第5話までの時点では、フォーカスはプロデューサーではなくアイドルのみに置かれているように感じる。プロデューサーは物語の中でアイドルたちを適切にサポートしていくが、そのコミットメントの仕方は一歩退いた位置にある。315プロのプロデューサーさんは、穏やかで安定した人物に見えて、登場人物として今のところなにかの問題があるようには思えない。成長物語的な意味で彼が今後(6話以降で)主役になる可能性は低いんじゃないかなと感じている。
こういう描き方のスタンスの違いは、アニメ『SideM』のアイドルたちが先の2作で描かれた765プロ・シンデレラプロジェクトの所属アイドルたちよりも年齢的に上であるということもあるのかなという気がしている。
おじさん(大人)である彼らに対して、プロデューサーは物語的に深い(←謎の表現だ)コミットメントをする必要がない。今のところは、各話で起こる様々な問題は、その話数のメインのアイドルたちがすべて自主的な、アイドル間でのやりとりによって解決してきた(ように記憶している)。もちろんそこに、プロデューサーさんのサポートはあるけれど、あくまで少し離れた立場からのサポートであって、プロデューサーさん自身が内面的に深く問題に巻き込まれていく、という事態には(まだ)陥っていない。勇者に道を示してくれる親切な村の老人って感じ。
(実は今後の展開でプロデューサーさん自身が描かれていくことがあるのかもしれないので、だとしたら上に述べたことは全部気のせいだった〜になる。)
私は成長物語が好きなので、プロデューサーが主役としてそこに巻き込まれていくシンデレラガールズが大好きだったのだけど、SideMのプロデューサー/アイドル関係の描き方は、これはこれでSideMという作品のアニメ化としてイケてる回答なのかもと思ってる。プロデューサーさん、おじいちゃんっぽくてかわいいし(このおじいちゃんっぽさというのは不安感のなさとつながっていて、不安感のなさは主人公性のなさとほとんど同義なのだけど)。

今年読んだSS(今年書かれたSSではなく)の感想記事などを書きたいなという思いもあるけど、もう終わってしまう、この年。