くもり。もっと涼しいかと思ったけど意外と暑かった。喉が渇いたので自販機のポカリスエットを購入。150円。
ゼミに出た。図書館で本を返して、借りた。
電車で本を読んだ。冲方丁のスプライトシュピーゲル4巻。もうすぐ読み終わる。これの次は、テスタメントシュピーゲル3上まで飛ばす。
帰宅後、借りてきた本をスキャンしたりメモしたり。
自分の頭で考えたと思ったことが、先行研究に既に書かれているのを発見してうわあーとなる。発見してよかったけど発見したくなかった。
夕食後にウォーキング。
2017年6月7日水曜日
2017年6月6日火曜日
6月6日の日記:レジュメ、さつまりこ黒蜜きなこ味、アイドルタイムプリパラ
メモとノート作り。レジュメの序文も書き始める。書いている間も苦しいし、書いてない間もストレスになる。間に合うのかどうか、ということが不安の種になるし、たぶん間に合うだろうけど、間に合わせるためのこれからの根の詰め方を考えると憂鬱になるし、発表当日の人びとの視線や、発表内容へのツッコミを思うとどんどん自信がなくなる。前に発表をしたときはブルーな気持ちが一ヶ月間続いた。
お昼にさつまりこの黒蜜きなこ味を食べた。黒蜜ときなこの風味がしっかりしておいしい。今まで食べたさつまりこのなかで一番好きな味かもしれない。
午後はアイドルタイムプリパラ第8話「ライスをねらえ!」と第9話「おしゃれスタジオ始めたっての」を観た。にのちゃんとちあこがかわいい。チアガール部のツンデレ口調の子(なんだからね)より、ちあこの方がツンデレじゃない? 頑固な寿司職人。ちあこいちおし。
夜はマツコの知らない世界の水族館の特集を観た。観ながらアイスモナカを食べた。間食をしすぎかもしれない。
ダンベルを持ち上げてから寝る。
お昼にさつまりこの黒蜜きなこ味を食べた。黒蜜ときなこの風味がしっかりしておいしい。今まで食べたさつまりこのなかで一番好きな味かもしれない。
午後はアイドルタイムプリパラ第8話「ライスをねらえ!」と第9話「おしゃれスタジオ始めたっての」を観た。にのちゃんとちあこがかわいい。チアガール部のツンデレ口調の子(なんだからね)より、ちあこの方がツンデレじゃない? 頑固な寿司職人。ちあこいちおし。
夜はマツコの知らない世界の水族館の特集を観た。観ながらアイスモナカを食べた。間食をしすぎかもしれない。
ダンベルを持ち上げてから寝る。
2017年6月5日月曜日
6月5日の日記:あじさい、レジュメ、買い物
晴れて涼しい。北関東でもあじさいの蕾が開き始めた。南より一・二週間は遅い。
レジュメのためのメモとノート作り。今日はよく進んで、昨日の遅れを取り戻せたことと思う。作業が進展したことによってかえって明らかになったのだが、このまま計画通りに資料の収集、分析、レジュメの文章作成をしていくと、どうやら時間が大幅に足りないことがわかった。仕方がないので、先日から考えていた一次資料を本格的に扱うのは次回にまわして今回は参考程度に留めることとし、レジュメの計画の規模を縮小して今手元にある文献だけでどうにかするしかない。
午後は散歩がてら買い物。情報カード、ボールペン(Signo)の替芯と、値下げ処分品となっていたじゃがりこの塩レモン味とオリーブ&ガーリックを購入。じゃがりこを買うペース>食べるペースなので、家にじゃがりこがたまってる。
夕食後にウォーキング。シロツメクサの群生を確認。
デスクトップの背景をエロマンガ先生のキャプチャにした。#1の「触らないで」のカット。この前後のやりとり(「けっこう片付いてるな」「うん」「えらいぞ(紗霧の頭に手を置く)」「……ないで」「ん?子ども扱いしないで?」「さわらないで!」「あはは……」「そこに座って」「やっぱり触って?」「そこに、座って!」)は、#1時点では和泉正宗のラノベ主人公的な難聴となれなれしさをあらわすシーンと思って流してしまうけど、あとになってから見返すと、赤の他人の異性として和泉正宗に接してる紗霧さんと、家族として和泉紗霧に接してる和泉先生のズレがどうしようもなく表出してしまっていることに気づく味わい深いシーンなんですね。
家族愛ごっこの和泉先生と異性愛ごっこのエロマンガ先生の異種格闘技戦。
レジュメのためのメモとノート作り。今日はよく進んで、昨日の遅れを取り戻せたことと思う。作業が進展したことによってかえって明らかになったのだが、このまま計画通りに資料の収集、分析、レジュメの文章作成をしていくと、どうやら時間が大幅に足りないことがわかった。仕方がないので、先日から考えていた一次資料を本格的に扱うのは次回にまわして今回は参考程度に留めることとし、レジュメの計画の規模を縮小して今手元にある文献だけでどうにかするしかない。
午後は散歩がてら買い物。情報カード、ボールペン(Signo)の替芯と、値下げ処分品となっていたじゃがりこの塩レモン味とオリーブ&ガーリックを購入。じゃがりこを買うペース>食べるペースなので、家にじゃがりこがたまってる。
夕食後にウォーキング。シロツメクサの群生を確認。
デスクトップの背景をエロマンガ先生のキャプチャにした。#1の「触らないで」のカット。この前後のやりとり(「けっこう片付いてるな」「うん」「えらいぞ(紗霧の頭に手を置く)」「……ないで」「ん?子ども扱いしないで?」「さわらないで!」「あはは……」「そこに座って」「やっぱり触って?」「そこに、座って!」)は、#1時点では和泉正宗のラノベ主人公的な難聴となれなれしさをあらわすシーンと思って流してしまうけど、あとになってから見返すと、赤の他人の異性として和泉正宗に接してる紗霧さんと、家族として和泉紗霧に接してる和泉先生のズレがどうしようもなく表出してしまっていることに気づく味わい深いシーンなんですね。
家族愛ごっこの和泉先生と異性愛ごっこのエロマンガ先生の異種格闘技戦。
エロマンガ先生が普通に異性愛ゲームをやろうとしてるのに、兄と妹とか家族とかいうルールで戦おうとする和泉先生という2人の間で繰り広げられる異種格闘技戦ですよ、『エロマンガ先生』は。ヤバイんですよ。— えすに月水土はツイッター見ない (@ssorcc) 2017年6月1日
8話冒頭でエロマンガ先生は異性としての和泉先生の気を引くために浴衣を着たけど、和泉先生は「妹がお祭でワイワイして花火を見たがってる!どうにかしてあげたい!」と解釈した。— えすに月水土はツイッター見ない (@ssorcc) 2017年6月1日
万が一エロマンガ先生の所願が成就して好きな人のお嫁さんになれたとしても、その好きな人は新婚初夜にも「兄は妹でエッチな気持ちになったりしない」と言って去っていくような変態だからな、わかっているのか。— えすに月水土はツイッター見ない (@ssorcc) 2017年6月1日
第1話の時点では「家族とは思ってない」と言い切るエロマンガ先生が変なのかと思ったけど、よくよく考えたら一回しか会ったことのない血の繋がらない誰かを兄妹だから!家族だから!で押し切ろうとする和泉先生の方が変態だった。— えすに月水土はツイッター見ない (@ssorcc) 2017年6月1日
普通に異性愛してるエロマンガ先生と暴走家族エンジンな和泉先生のかけ違えてるボタンみたいなもどかしさか……— えすに月水土はツイッター見ない (@ssorcc) 2017年6月1日
2017年6月4日日曜日
6月4日の日記:草むしり、ラーメン、お米ほろほろ
2017年6月3日土曜日
6月3日の日記:バターチキンカレー、ツバメの巣、もちぷにゃ
涼しい風が吹いていて気持ちがよかった。夏が終わってしまったかのようだけど、中旬にもなれば梅雨入りして、いずれ風が涼しいなんて思えなくなるだろう。
晴れていたので午前中は布団を干して、掃除。
そのあとは今日もレジュメのためのメモとノート作り。
お昼にはレトルトのバターチキンカレーを食べた。神田のmandaraというお店の味を再現したカレーだそうで、たしかにお店っぽい味だった。思ったより辛くておいしかった。モナカアイスも食べた。
夕方に散歩。子育て中のツバメが巣に飛び込んでいくところを見かけた。ツバメはたいてい家の軒下に巣作りをするけど、人間が軒下のある家をたくさん建てるよりもまえの時代はどこで暮らしていたのだろう。おおきな木? 崖?
セブンイレブンで「もちぷにゃ」というお菓子を購入。家に持ち帰って食べる。クレープのようなもちもちした生地にクリームがつつまれていてなかなかおいしい。でも少し前に食べた「もちとろバニラ」の方が、常温の「雪見だいふく」感があって好きだったかも。
クレープという食べ物は好きなんだけど、よく考えてみると今までちゃんとおいしいクレープを食べた記憶がない。私はなにが好きなんだろう。クレープの概念を愛している。私が食べたのがたまたまそれほどでもないクレープだっただけで、クレープ自体のポテンシャルは高いはずなんだと信じていたい。

晴れていたので午前中は布団を干して、掃除。
そのあとは今日もレジュメのためのメモとノート作り。
お昼にはレトルトのバターチキンカレーを食べた。神田のmandaraというお店の味を再現したカレーだそうで、たしかにお店っぽい味だった。思ったより辛くておいしかった。モナカアイスも食べた。
夕方に散歩。子育て中のツバメが巣に飛び込んでいくところを見かけた。ツバメはたいてい家の軒下に巣作りをするけど、人間が軒下のある家をたくさん建てるよりもまえの時代はどこで暮らしていたのだろう。おおきな木? 崖?
セブンイレブンで「もちぷにゃ」というお菓子を購入。家に持ち帰って食べる。クレープのようなもちもちした生地にクリームがつつまれていてなかなかおいしい。でも少し前に食べた「もちとろバニラ」の方が、常温の「雪見だいふく」感があって好きだったかも。
クレープという食べ物は好きなんだけど、よく考えてみると今までちゃんとおいしいクレープを食べた記憶がない。私はなにが好きなんだろう。クレープの概念を愛している。私が食べたのがたまたまそれほどでもないクレープだっただけで、クレープ自体のポテンシャルは高いはずなんだと信じていたい。
2017年6月2日金曜日
6月2日の日記:資料閲覧、〜のためには、テスタメントシュピーゲル最終巻7月1日発売
今日は暑い!と覚悟して出かけたのにそうでもなかった。どうして? 夏もう終わっちゃった?
昨日書いた、面倒な場所にある本を見に行った。とりあえず2冊参照する。すごく役に立ちそうな気もするし、そうではない気もする。時間があまりなかったので、とりあえず目次と、これはと思った箇所をメモして、今日のところは立ち去る。来週の水曜?か木曜ならもう少し時間をかけられるはず。
授業に出た。面白かった。
往復の電車の中ではTwitterばかり観ていて、勉強もしなかったし、読書もしなかった。
帰宅後に「劇場版 Free!-Timeless Medley- 約束」の予告を観た。明朝体の「蘇る、あの日の幻影」ってテロップに動揺。
正しい用法なのに個人的に違和感がある日本語の話。
「(人名)にとっては」の意味で「(人名)のためには」という表現をする例を、森鷗外の『渋江抽斎』で読んで、不思議に思っていた。「抽斎はわたくしのためには畏敬すべき人である」みたいなやつ。なんだかへんな感じがする。
書いたのが鷗外だから、てっきりドイツ語の語法を日本語に置き換えて使っているのだと思っていた。のだけど、今日たまたま明治以前の日本語の文章でこの「ためには」の用例を発見して、普通に昔からある表現だったんだ、と驚いた。
「ため(為)」を『大辞林』(三省堂、1988年)で引くと、3番目の用法として「ある物事に関することを表す。…にとって。…に関して。『君の—よくない』『彼の—には育ての親に当たる人』」とあるし、辞書にも掲載されてる完全に普通の言葉遣いらしい。なんで知らなかったんだろう。だけど、これを知ってもなお、「ため」という言葉はどうしても「役に立つ、利益になる」という意味に思えて、「について」という意味とは思えない。
こういう言葉は他にもあって、受動文などの動作の主体をあらわす格助辞(詞)カラにどうしてもなじめなくて、文章や会話でそれに行き当たると、そこは〜ニであるべきじゃないかとおもってしまう。でも同じく大辞林で調べると、「から」の5番目の用法として「動作・作用の出どころを表す。『君—聞いた話』『おやじ—おこられた』」とあって、「に」の7番目の用法「動作・作用の起こるみなもとを表す。『人—ぶたれる』『盗人—金をとられる』」と同じ意味だ。それはわかっているんだけど、なぜか私には〜カラというのは動作の主体というより、場所をあらわす助辞のように思えるんですよね。「駅から5分」みたいに。
なぜだろう。
夕食に餃子を食べた。餃子は好き。栃木県民なので(関係ない)。
その後にタモリ倶楽部を観る。早稲田大学の学生が作った役に立たない機械。
テスタメントシュピーゲル3下 (最終巻)の発売日が決まったらしくて楽しみ。今年の7月1日。
冲方丁は「最後のライトノベル」と言ってるらしいけど、そんなこと言わずまた書いてよと思ってる。今はやめるつもりでも、大江健三郎だって何度も(?)断筆してるんだし、冲方丁もそのうちまたライトノベルを書き始めるかもしれない。
昨日書いた、面倒な場所にある本を見に行った。とりあえず2冊参照する。すごく役に立ちそうな気もするし、そうではない気もする。時間があまりなかったので、とりあえず目次と、これはと思った箇所をメモして、今日のところは立ち去る。来週の水曜?か木曜ならもう少し時間をかけられるはず。
授業に出た。面白かった。
往復の電車の中ではTwitterばかり観ていて、勉強もしなかったし、読書もしなかった。
帰宅後に「劇場版 Free!-Timeless Medley- 約束」の予告を観た。明朝体の「蘇る、あの日の幻影」ってテロップに動揺。
正しい用法なのに個人的に違和感がある日本語の話。
「(人名)にとっては」の意味で「(人名)のためには」という表現をする例を、森鷗外の『渋江抽斎』で読んで、不思議に思っていた。「抽斎はわたくしのためには畏敬すべき人である」みたいなやつ。なんだかへんな感じがする。
書いたのが鷗外だから、てっきりドイツ語の語法を日本語に置き換えて使っているのだと思っていた。のだけど、今日たまたま明治以前の日本語の文章でこの「ためには」の用例を発見して、普通に昔からある表現だったんだ、と驚いた。
「ため(為)」を『大辞林』(三省堂、1988年)で引くと、3番目の用法として「ある物事に関することを表す。…にとって。…に関して。『君の—よくない』『彼の—には育ての親に当たる人』」とあるし、辞書にも掲載されてる完全に普通の言葉遣いらしい。なんで知らなかったんだろう。だけど、これを知ってもなお、「ため」という言葉はどうしても「役に立つ、利益になる」という意味に思えて、「について」という意味とは思えない。
こういう言葉は他にもあって、受動文などの動作の主体をあらわす格助辞(詞)カラにどうしてもなじめなくて、文章や会話でそれに行き当たると、そこは〜ニであるべきじゃないかとおもってしまう。でも同じく大辞林で調べると、「から」の5番目の用法として「動作・作用の出どころを表す。『君—聞いた話』『おやじ—おこられた』」とあって、「に」の7番目の用法「動作・作用の起こるみなもとを表す。『人—ぶたれる』『盗人—金をとられる』」と同じ意味だ。それはわかっているんだけど、なぜか私には〜カラというのは動作の主体というより、場所をあらわす助辞のように思えるんですよね。「駅から5分」みたいに。
なぜだろう。
夕食に餃子を食べた。餃子は好き。栃木県民なので(関係ない)。
その後にタモリ倶楽部を観る。早稲田大学の学生が作った役に立たない機械。
テスタメントシュピーゲル3下 (最終巻)の発売日が決まったらしくて楽しみ。今年の7月1日。
冲方丁は「最後のライトノベル」と言ってるらしいけど、そんなこと言わずまた書いてよと思ってる。今はやめるつもりでも、大江健三郎だって何度も(?)断筆してるんだし、冲方丁もそのうちまたライトノベルを書き始めるかもしれない。
2017年6月1日木曜日
6月1日の日記:レジュメ、アイスモナカ、エロマンガ先生と「家族」対「好きなひとのお嫁さん」
雨が降ったり止んだり晴れたりまた降ったり。
先日に続いてメモとノート作り。この段階は作業としては一番楽しいところ。これらを素材として文章化する段階になって苦しみがやってくる。文章化は自我が論理に攻められる過程。
レジュメに書く内容はかなりはっきりしてきたが、まだ材料が足りない。主張の根拠になる一次資料が全くない。エビデンスとは。
一次資料になりそうなものは見当をつけているのだけど、参照が面倒な場所(物理)にあって、先延ばしにしている。明日がんばる。
お昼にコープ(生協)のアイスモナカを食べた。すごくおいしかった。なぜおいしいのか考えたのだけど、最中の内部のバニラアイスに微細な気泡がたくさん含まれていて、それが適度なかたさ/やわらかさと綿のような食感、口溶けのよさを生んでいるのだと思う。アイスモナカはよい食べ物。幼時、家族と公園に行った日に食べさせてもらった記憶。
夕方にエロマンガ先生#8「夢見る紗霧と夏花火」を再視聴して、それから#8ラストの「家族」をめぐる会話が気になって#1「妹と開かずの間」を観た。エロマンガ先生=和泉紗霧さんと和泉マサムネ先生とは兄妹とは言っても義理の兄妹だし、最初から二人は性愛の意味で愛し合っているように見えるし、妹萌えとか近親愛はブラフで普通の男女愛じゃん、と思っていたのだけど、そうではないんだなということが#8ではっきりしてきた。
#1の時点では、和泉先生の台詞は単に、ヒロインの望む言葉(恋人)を与えないラノベ主人公的言動かと思っていたのだけど#8ラストの吐露によって、それが文字通りの意味での本音だったことが了解できる。そういう和泉先生の感情(家族への執着)の側から二人の関係を追ってみると、「兄妹 」がブラフなんじゃなくて、むしろ和泉先生から紗霧さんへの異性愛の方がミスリードだったんじゃないかと思えてくる。
そもそも最初から和泉先生はちょっとへんで、いくら義理の妹で、そのうえ運命的な恋の予感を感じているのだとしても(#1冒頭の演出はそういう風に見える)、一度顔を合わせて短い会話しただけの相手が、それ以来一度も再会することなくそれでいて一つ屋根の下に二人きりでずっといるなんて、普通なら気まずくて気持ちの悪いシチュエーションだと思う。でも「家族」に執着している和泉先生にとってはそれで全然よくて、「家族」である誰かが同じ家に生きているということ、それだけでその「家族」を愛する理由になるのかもしれない。たとえわがままな引きこもりでも。むしろ「妹」が引きこもりであることは、どこかよそに行って死ぬ可能性がない分、安心できるのかも。だから部屋から引きずり出そうとはしないし、学校に行かせようとも思わない。それで満足している。そして現在の「家族」としての生活をいつまでも守りたいと思っている。はっきり言って気持ちが悪い。
和泉先生にとっては、自分の「家族」であるということは、それだけで愛する理由になる。だからたとえば1年前に実の父親が連れてきたのが紗霧さんではない別の人間だったとしたら、たぶん和泉先生はその「妹」を「家族」として受け入れ、現に「妹」である紗霧さんを愛しているように愛しただろう。そういう事実がたぶん和泉紗霧を苛立させる。
「兄さんの妹になんてなりたくない」と言う紗霧さんは、小説家としての和泉マサムネ先生にずっと昔から恋をしていて、その彼と一つ屋根の下で暮らすことになったことに運命を感じている。「やっぱり、兄さんが和泉マサムネ先生だったのね。(…)同じ名前だなって思ってただけ。本当に同一人物だなんて、どんな確率なの」
紗霧さんは#1からずっと兄さん=和泉先生を「異性」として意識しているそぶりを見せている。それに対して和泉先生は妹=紗霧=エロマンガ先生の頭を撫でたり、自分より年少の「家族」として交流しようとする。
和泉先生は年少の「妹」にエッチなイラストを描かせていたことを謝罪するが、「兄さん」を異性として意識しているエロマンガ先生は「エッチ」という言葉に反応して切れる。兄さんのバカ!にぶちん!ラノベ主人公!
うーん葛藤!
私は、このアニメどうするのかなと心配していたんですよ。
両思いが#4の時点ですでに確定してるわけだし、和泉先生が勘違いでフラれたの思っているのだとしても、その勘違いを引っ張るだけでこれからラブコメ続けるの?どうなんだそれは、と思っていました。
でもエロマンガ先生のラブコメとしての核心は、どうやらその勘違いだけではなくて、「家族愛」と「性愛」の排他性、「妹」を一方では異性として見ながらもそれよりも「家族」になりたい和泉マサムネと、「好きなひとのお嫁さんになりたい」から「家族」になんてなりたくない和泉紗霧さんとの対立にあったんですね。擬制としての近代家族と、男女の自由恋愛イデオロギーと、肉体と感情をもった実存との相克・三つ巴じゃん。やるじゃん、『エロマンガ先生』。
昨日の日記では「エロマンガ先生以外へのルートには進まなそう」とか「悪く言えば緊張感にかけるし、よく言えば安心して観られる」と言ったけど、この調子だと和泉先生とエロマンガ先生の「恋愛」がどうなるのかすらわからないのでは?と思い直す。和泉先生は紗霧に妹=家族を求めるし、エロマンガ先生は兄さんを恋愛対象として見つつ(「私は好きなひとのお嫁さんになりたい」)も一時的に家族を演じる(「ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」)。同原作者の前作『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』も、解釈次第では「家族愛」が「性愛(近親愛)」に勝ったとも言える(兄は最後まで妹を性愛の対象として見てなかったかも)し、『エロマンガ先生』も和泉正宗−紗霧の間で最後に勝つのは「家族愛」で、「異性愛」の対象としては和泉先生は他の任意の誰かを選ぶのかもしれない。エロマンガ先生がどんなに和泉先生を愛しても、和泉先生は妹=紗霧=エロマンガ先生を家族として愛するがゆえに、その愛に気づかないのだ。ラノベ主人公的にではなくむしろ主体的に、あえて気づかないふりをする。わはは。
ところで、山田エルフ先生は売れっ子作家だからてっきり学校なんて行ってないのかと思っていたけど、ちゃんと高校?中学?に籍を置いていて、学生をやっているようなので安心しました。「てか、どうしたの、今日のあんた素直じゃない? エルフ先生に惚れちゃった?」「惚れてない。けど、おまえが俺の姉貴だったらよかったのな、って」「……(デコピン)」「いてっ!」「……あんたみたいな弟いらないわ。ふ、ばか!」って一体何なんだ。なんなのだいったい。
夜は先日途中まで観たプロフェッショナル仕事の流儀の続きを観た。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。猫が若い大型犬に乗ってフミフミする画を撮れてご満悦の岩合さん。プロフェッショナル仕事の流儀は最後にかならず困難が起きて、それが解決して、テーマ曲が流れて終わるな、と思った。
先日に続いてメモとノート作り。この段階は作業としては一番楽しいところ。これらを素材として文章化する段階になって苦しみがやってくる。文章化は自我が論理に攻められる過程。
レジュメに書く内容はかなりはっきりしてきたが、まだ材料が足りない。主張の根拠になる一次資料が全くない。エビデンスとは。
一次資料になりそうなものは見当をつけているのだけど、参照が面倒な場所(物理)にあって、先延ばしにしている。明日がんばる。
お昼にコープ(生協)のアイスモナカを食べた。すごくおいしかった。なぜおいしいのか考えたのだけど、最中の内部のバニラアイスに微細な気泡がたくさん含まれていて、それが適度なかたさ/やわらかさと綿のような食感、口溶けのよさを生んでいるのだと思う。アイスモナカはよい食べ物。幼時、家族と公園に行った日に食べさせてもらった記憶。
夕方にエロマンガ先生#8「夢見る紗霧と夏花火」を再視聴して、それから#8ラストの「家族」をめぐる会話が気になって#1「妹と開かずの間」を観た。エロマンガ先生=和泉紗霧さんと和泉マサムネ先生とは兄妹とは言っても義理の兄妹だし、最初から二人は性愛の意味で愛し合っているように見えるし、妹萌えとか近親愛はブラフで普通の男女愛じゃん、と思っていたのだけど、そうではないんだなということが#8ではっきりしてきた。
「やっとわかった。兄さんは家族が欲しいんだ」
「うん、俺は家族が欲しい」
「私は、兄さんを家族だなんて思ってなかったし、兄さんの妹になんてなりたくない。でも、しょうがないから、ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」
(#8「夢見る紗霧と夏花火」)
「……家族なの? 私たちは」和泉先生が初めて「妹」の部屋に入った#1と、#8の打ち上げの疑似家族的な共食の後に交わされる、対応・反復する家族をめぐる問答。
「そうだろ。こうして一緒に暮らしてるんだからな」
「……そう。私はそう思ってない。一緒に暮らしていることを、家族とは言わないもの」
「……?」
(#1「妹と開かずの間」)
#1の時点では、和泉先生の台詞は単に、ヒロインの望む言葉(恋人)を与えないラノベ主人公的言動かと思っていたのだけど#8ラストの吐露によって、それが文字通りの意味での本音だったことが了解できる。そういう和泉先生の感情(家族への執着)の側から二人の関係を追ってみると、「兄妹 」がブラフなんじゃなくて、むしろ和泉先生から紗霧さんへの異性愛の方がミスリードだったんじゃないかと思えてくる。
そもそも最初から和泉先生はちょっとへんで、いくら義理の妹で、そのうえ運命的な恋の予感を感じているのだとしても(#1冒頭の演出はそういう風に見える)、一度顔を合わせて短い会話しただけの相手が、それ以来一度も再会することなくそれでいて一つ屋根の下に二人きりでずっといるなんて、普通なら気まずくて気持ちの悪いシチュエーションだと思う。でも「家族」に執着している和泉先生にとってはそれで全然よくて、「家族」である誰かが同じ家に生きているということ、それだけでその「家族」を愛する理由になるのかもしれない。たとえわがままな引きこもりでも。むしろ「妹」が引きこもりであることは、どこかよそに行って死ぬ可能性がない分、安心できるのかも。だから部屋から引きずり出そうとはしないし、学校に行かせようとも思わない。それで満足している。そして現在の「家族」としての生活をいつまでも守りたいと思っている。はっきり言って気持ちが悪い。
和泉先生にとっては、自分の「家族」であるということは、それだけで愛する理由になる。だからたとえば1年前に実の父親が連れてきたのが紗霧さんではない別の人間だったとしたら、たぶん和泉先生はその「妹」を「家族」として受け入れ、現に「妹」である紗霧さんを愛しているように愛しただろう。そういう事実がたぶん和泉紗霧を苛立させる。
「兄さんの妹になんてなりたくない」と言う紗霧さんは、小説家としての和泉マサムネ先生にずっと昔から恋をしていて、その彼と一つ屋根の下で暮らすことになったことに運命を感じている。「やっぱり、兄さんが和泉マサムネ先生だったのね。(…)同じ名前だなって思ってただけ。本当に同一人物だなんて、どんな確率なの」
もう一度考え直したけど、まず小説を読んだ時点で「好き……」となってて作者に思いを馳せる。和泉先生と気づかずに本人の顔や立ち居振る舞いを見て、「好き……」と一目惚れ。小説の作者とその人が同一人物と気づいた時点で好き×好きの相乗効果でガチ恋。エロマンガ先生もムラマサ先生もこれです。— えすに月水土はツイッター見ない (@ssorcc) 2017年5月31日
紗霧さんは#1からずっと兄さん=和泉先生を「異性」として意識しているそぶりを見せている。それに対して和泉先生は妹=紗霧=エロマンガ先生の頭を撫でたり、自分より年少の「家族」として交流しようとする。
和泉先生は年少の「妹」にエッチなイラストを描かせていたことを謝罪するが、「兄さん」を異性として意識しているエロマンガ先生は「エッチ」という言葉に反応して切れる。兄さんのバカ!にぶちん!ラノベ主人公!
うーん葛藤!
私は、このアニメどうするのかなと心配していたんですよ。
両思いが#4の時点ですでに確定してるわけだし、和泉先生が勘違いでフラれたの思っているのだとしても、その勘違いを引っ張るだけでこれからラブコメ続けるの?どうなんだそれは、と思っていました。
でもエロマンガ先生のラブコメとしての核心は、どうやらその勘違いだけではなくて、「家族愛」と「性愛」の排他性、「妹」を一方では異性として見ながらもそれよりも「家族」になりたい和泉マサムネと、「好きなひとのお嫁さんになりたい」から「家族」になんてなりたくない和泉紗霧さんとの対立にあったんですね。擬制としての近代家族と、男女の自由恋愛イデオロギーと、肉体と感情をもった実存との相克・三つ巴じゃん。やるじゃん、『エロマンガ先生』。
昨日の日記では「エロマンガ先生以外へのルートには進まなそう」とか「悪く言えば緊張感にかけるし、よく言えば安心して観られる」と言ったけど、この調子だと和泉先生とエロマンガ先生の「恋愛」がどうなるのかすらわからないのでは?と思い直す。和泉先生は紗霧に妹=家族を求めるし、エロマンガ先生は兄さんを恋愛対象として見つつ(「私は好きなひとのお嫁さんになりたい」)も一時的に家族を演じる(「ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」)。同原作者の前作『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』も、解釈次第では「家族愛」が「性愛(近親愛)」に勝ったとも言える(兄は最後まで妹を性愛の対象として見てなかったかも)し、『エロマンガ先生』も和泉正宗−紗霧の間で最後に勝つのは「家族愛」で、「異性愛」の対象としては和泉先生は他の任意の誰かを選ぶのかもしれない。エロマンガ先生がどんなに和泉先生を愛しても、和泉先生は妹=紗霧=エロマンガ先生を家族として愛するがゆえに、その愛に気づかないのだ。ラノベ主人公的にではなくむしろ主体的に、あえて気づかないふりをする。わはは。
ところで、山田エルフ先生は売れっ子作家だからてっきり学校なんて行ってないのかと思っていたけど、ちゃんと高校?中学?に籍を置いていて、学生をやっているようなので安心しました。「てか、どうしたの、今日のあんた素直じゃない? エルフ先生に惚れちゃった?」「惚れてない。けど、おまえが俺の姉貴だったらよかったのな、って」「……(デコピン)」「いてっ!」「……あんたみたいな弟いらないわ。ふ、ばか!」って一体何なんだ。なんなのだいったい。
夜は先日途中まで観たプロフェッショナル仕事の流儀の続きを観た。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。猫が若い大型犬に乗ってフミフミする画を撮れてご満悦の岩合さん。プロフェッショナル仕事の流儀は最後にかならず困難が起きて、それが解決して、テーマ曲が流れて終わるな、と思った。
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