2018年7月25日水曜日

7月25日の日記

曇り。気温が下がって過ごしやすい。ようやくまともな世界になった。

果てしなく身体がだるい。昨日までの暑さによる疲れが出たのかもしれない。
今日はずっと死んでいた。
余暇を楽しむことにすら強い意志が必要となる。

昨晩から村上春樹の『やがて哀しき外国語』を読み始めた。
今の私は頭が疲れていて、とてもだめなので。
こういう時は村上春樹の文章を読むしかない。
と決めている。ので。

コンビニのおにぎりは昔よりおいしくなった。
昔から好きだったけれど、最近のものは具がたっぷりでおいしい。子供の頃に食べたおにぎりはもっと具が少なかった気がする。
コンビニに売っている大抵の食べ物は、昔より飛躍的においしくなったようだ。
つい10年ほど前はコンビニなんて1年に1度利用すればいいほうだったのに、今は週に何度も通っていて、コンビニがなくては生きていけなくなっている。
10年前はコンビニは悪しき資本主義の最先端部で、存在自体が悪であり、コンビニで買い物をすることはこの悪しき世界で起きている一切の悲惨な出来事を是認することだと信じていた。そういう妄想めいた考えが完全に消えてしまったわけではないけれど、今はコンビニを利用することへの違和感や嫌悪感はなくなっている。
おいしいものが食べられる生活はすばらしい。そういう気持ちになっている。

そうは言っても、昨日は。コンビニに立ち寄って、なにか美味しいものを買おうとしたのに、実際にはそこで欲しいものをなにも見つけることができなかった。
おいしいものが食べたいという気持ちもある一方で、おいしいものなんか食べて何になる?という気持ちも強く、その支配に抗えない。
おいしい思いや、楽しい思いをしたい、という気持ちはエネルギーを要する。
幸せになりたいと願うことは、現状である程度幸せでなくてはできないことだ。
きっと、すごく幸せな人は、もっともっと幸せになりたいと願い、一層大きな幸せに向かって進んでいけるだろう。
少しだけ幸せな人は、その幸せのエネルギーに見合うだけの願いをもって、ほんの少し幸せに向かっていけるだろう。
幸せでない人は、その場から移動するエネルギーを得ることができず、時の流れにおしやられて深い深い滝壺へと落ち込んでいくだろう。そこでその人はバラバラになるだろう。

不幸を追求する力も、幸福を目指す力も今は見つけられない。このだるさを早く乗り越えたい。