2018年8月12日日曜日

8月12日の日記:藤田嗣治展、ドネルケバブ

東京都美術館で開催されている藤田嗣治の回顧展を観てきた。見たことのない絵が多く展示されていて楽しかった。
若い頃の作品にキュビスム風(というかキュビスムそのもの)の油絵があったことは知らなかったので驚いたし、おもしろかった。凡庸な発見だけれど、藤田のような個性も一朝一夕に生まれるものではなく、様々な模倣や試行錯誤の結果として出来上がるものなのだなあと感心。
藤田嗣治のような非フランス人・非ヨーロッパ人・非白人が、パリで独特なファッションを身にまとい、民族的な装いの独特な画風でもてはやされるということには何とも言い難い悲しみ(オリエンタリズム!)もあるが、それはそれとして、やはり藤田嗣治の様式的な人物画などは素晴らしい。昔から嫌いではないけれど、最近しみじみと良いものだと感じるようになった。
戦争画の中では『アッツ島玉砕』とサイパンでの集団自決を描いた大作がやはり目を引いた(前者は前に別の機会にも観たことがある気がする。確かこの『アッツ島玉砕』には戦中に展示された際、絵の前に賽銭箱が置かれたというエピソードがあったはず)。藤田の戦争画のもう一つの大作『ガダルカナル決戦』は今回の展覧会には並んでいなかった。その他の第二次大戦中の戦争画も含めて、こうした作品を改めて観ると、藤田嗣治は確信的な愛国者だなという気がした。決して流されて、あるいは強制されていやいや描いた絵ではない。『アッツ島玉砕』の絵なども、戦時の民衆の気分の再生産にそれなりに一役買ったことだろう。
晩年の作品では子どもの絵や宗教画が面白い。藤田の画風は宗教画とマッチする。最初から宗教的な方向性があったからそのような画風になったのか、画風があのようであったから宗教画をものするようになったのか、私にはいずれともわからないが。様式的に(非人間的に、彫像か人形のような姿で)描かれた聖母マリアの両隣に、写実的な藤田夫妻が並んだ絵があって、印象に残った。子どもの絵はこれもまた様式的なもので、なかでも箱の蓋に描かれた下半身だけ裸で性器を露出した4人の子どもが手をつないで輪っかになっている絵がすごい。この箱は見た瞬間に、同じものを前にも観たことがあるとすぐに思い出せた。あれは宇都宮美術館での藤田嗣治展だったはず。はっきり言って不気味な作品だ。
一定のテーマのもとに様々な作家の作品を集めた展覧会もいいけれど、このような1人の画家の初期から晩年までを追うタイプの展覧会も楽しい。

帰りに恩賜公園内で催されていた日本とパキスタンの友好のお祭りで、ドネルケバブを食べた。私が食べたのはピタパンがぶ厚めのドネルケバブで、ソースは甘めだった。マンゴーラッシーも飲んだ。
カレーやシシカバブ、ビリヤニなど美味しそうなものがたくさんあったけれど、時間もお腹の余裕もなかったのでそれらは断念。

帰りの電車では隣席にコミケ帰りの青年が座っていた。なぜコミケ帰りとわかるかと言うと、「夏コミですか?」と聞いたからです。重そうな紙袋をいくつも運んでいた。
青年からはまったくにおいはしなかったので、コミケ参加者が臭いというのは都市伝説かなと思った。過度な一般化。