2018年8月9日木曜日

8月9日の日記:オーバーロード、柳宗悦『南無阿弥陀仏』

オーバーロードⅢ第5話を視聴。戦闘回。ナザリック地下大墳墓を褒められて喜んでるアインズ様がかわいかった。

アニメを観ながら昨日のひねり揚旨辛ハバネロの残りを食べた。やはり甘みが気になって手が進まない感じがある。

今日もねこと追いかけっこをした。
ねこの方で最近の習慣になってしまったらしい。

夜に「プレバト」の俳句の王者決定戦?的な放送回を観た。
結果は梅沢富美男さんの優勝。
今回は上手い人だけが集まった回だったので、俳句の先生による添削が普段の回より少なかった。

随分前に買った柳宗悦の『南無阿弥陀仏』を読んだ。おそらく初読の筈。なかなかおもしろかった。その中に引用されていた『正法眼蔵』の「生死」巻の内容が気になったので、いずれその箇所を含めてきちんと正法眼蔵を読んでみたいとも思った。
『南無阿弥陀仏』の中で気に入った一節。
六字六字が吾々の自我の捨て場である。六字が死の場である。六字に臨終があるのである。だがその死こそは六字に活きる死である。念々の臨終が念々の往生である。それ故六字そのものがいつも来迎であり引接である。六字に受け取られることが、真に活きることである。六字が往生の当体である。六字を去って成仏はない。