2019年4月20日土曜日

4月20日の日記:ごろごろチキンカレー、SONGS、輪るピングドラム

松屋の「ごろごろチキンカレー」を買って食べた。昨日お店の前でのぼりを見て気になっていた。チキンが本当にごろごろとしていて歯ごたえがよく、カレーもほどよいスパイシーさで満足。松屋は初体験だったので、少し戸惑ったけれど、会計に電子マネーが使えて楽だった。機会があったらまた別のカレーも購入したい。

NHK総合の「SONGS」という番組の井上陽水の回を観た。トーク部分がとても面白く、笑いながら観た。楽しい。

さらざんまいの第2話を再視聴。幾原邦彦アニメのことだから、春かっぱは見た目通りの無垢な存在ではなく、実は兄の女装に気づいているとか、あるいは何か他の秘密を彼も抱えているとか、そういう展開になるのではないかと思っている。

輪るピングドラム第16話と17話も視聴。16話の祖父殺害→夢か→「すり潰されたりせんぞ、すり潰されたりせんぞ!」の超高速パターンが面白すぎて、シリーズ全体の中でもかなり好きな回。
以前観た時は気づかなかったことだけれど、高倉陽毬の病が高倉家両親のテロ行為に由来する呪いであるとすれば、夏芽マリオの病は夏芽家祖父の呪いによるものなのだろうか?
家族、呪い、自己犠牲を伴う愛あたりが作品のテーマと思うが、呪いの部分はかなり込み入っていてわかりにくい。家族の(犯した罪の)呪いによって子どもたちが病に陥っている、という意味での呪いがある一方で、眞悧という人物もまた、「かえるくん、東京を救う」におけるみみずくんのような抽象的な呪いの擬人化として現れる。それら2つの呪いの関係はいったいどういうことになっているのか、究極的に同じものなのか、同じ呪いではあってもまったくの別物なのか。理屈で考えようとするといまいちよくわからない。

『ナイン・ストーリーズ』をようやく読了。最後まで全編面白かった。
今日は「テディ」を読んだ。最後にテディの死が暗示されていること自体は以前に読んだときもわかってはいたけれど、作中でテディ自身が2度もその死を予告していることには気づいていなかったらしい。それを理解するか否かでまったく話が変わってくる。(以前読んだときには、ただ単に脈絡もなくテディが死んでしまうショッキングな結末だと思っていたが、テディが自分の死ぬことを知っていたという前提で読めば、であるにもかかわらず自分の死地へと遅刻しないように平然と律儀に足を運んでいた。つまり死を恐れる必要がないという自分の考え、主義をそのまま実行に移していたということになる。最後にテディと話していた学者はそのことに気づいて恐怖するのだろう。)